死人が神の声を聞く時
✝ヨハネ5章25節 新改訳2017
まことに、まことに、あなたがたに言います。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。
「死人」には2種類あります。一つはほとんどの日本人のように、霊と死後の世界を信じないとか、自分の罪がわからず、悔い改める必要を感じない人たちのことです。もう一つは、このユダヤ人のように、律法を守ることで自分を義人だとする人のことです。日本人でも善行とか修行など、行いによって自分を救おうとしている人がいますが、これも同じです。しかしどんなに努力しても、十字架がなかったら罪の赦しがなく、結局は罪がわからない人と同様に滅びのです。
聖書は繰り返し次のように説いています。「自分のいのちを救おうとする者はそれを失い、わたしと福音のために命を失う者はそれを救う」(マタ16:25、マル8:35、ルカ7:33、9:24)
では「わたしと福音のために命を失う」とはどういうことでしょうか。ストレートには「信仰によって殉教する、またその用意ができている」と言うことになりますが、それはキリストに従って、恵としてそのように選ばれた結果です。ですからもっとも大切なことは「キリストのように私たちも神のみこころを求め、キリストのように徹底して聞き従う」ことです。
わたしは、自分からは何も行うことができません。ただ聞いたとおりにさばきます。・・・中略・・・。わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わされた方のみこころを求めるからです。【ヨハネ5:30 】
三位一体の神と子と聖霊の有りようについて、ヨハネは従順を通し描いています。キリストは神のみこころだけを求められ、死に至るまで忠実でした。ですからキリストに倣う私たちも、自分のために生きるのではなく、神の栄光のために自分の人生を差し出して生きましょう。それは日々神のみこころを求めて祈り、明らかにされた使命に堅く立って歩んで行くことになります。
まとめるとまず第一にみこころがわかるという前提があり、次にみこころに従いきる実践があります。自分ではみこころが分からない方は、牧師のような霊的な指導者に従うことが次善の段階となるでしょう。いずれにせよ一日の一番大切な静まれる時間を捧げ、祈りと聖書の時間を第一とすることが神に自分を捧げ、「わたしと福音のために命を失う」者のしるしです。
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