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2019年1月20日 (日)

忍耐

✝使徒5:29 「忍耐」     【新改訳2017】

しかし、ペテロと使徒たちは答えた。「人に従うより、神に従うべきです。」

弟子たちの豹変ぶりは、驚くほどでした。50日前には、「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」とまで言ったペテロたちでした。が、ご承知のように命惜しさに三度も否定した挙げ句に逃げ出し、それからは恐れのあまり閉じ籠もって祈っていた人たちだったのです。

しかし聖霊のバプテスマを受けてからは一変しました。二度も居並ぶ最高法院の権威者たちを前にし、どんなに脅されようと鞭打たれようと、ペテロたちは死を恐れずに神を選び主イエスの証しをしました。ガリラヤの猟師という無学なはずの田舎育ちが、全くの堂々とした逆転の姿でした。ルカ12:11-12で「言うべきことは、その時に聖霊が教えてくださる」ので心配しなくて良いとイエス様が語られた通りの姿でした。これは彼らが別人になったわけではなく、彼らはただ聖霊に従っていただけなのです。

弟子たちを豹変させた聖霊のバプテスマですがImg_0072_2
聖霊のバプテスマは大きな誤解を生んでいる可能性があります。これは100%神から来るものですから、周りにいる人はせいぜいその執り成ししかできません。聖霊のバプテスマはみこころの時に、みこころの方法で起こりますが、受けた本人に神の実在と愛と恵みが激しく望み、人生の生き方が全く変わる新生を体験します。そのことは受けた人が一番鮮烈にわかることです。

つまり、それまでの自己中心で御利益的な存在=ドラえもんのポケットのように、自分中心に生きていたはずだったのが、逆に神のみこころのみに従う存在になるのからです。

そのような恵みを受けるまで、私たちは忍耐しているように思っていますが、実は神さまの方が、私たちよりももっと忍耐をして待って下さっていたのです。それまでの人生の中で、自分を捨てるという事とは、試練や困難を通して一つ一つ自分への希望を失い、そこに神が愛を持って守って下さり、歩んできたもので、皆さん全員がそこに神の手を見られるはずです。神は忍耐して私たちを長い期間をかけて導き、私たちの信仰告白という実を実らせて喜んで下さいました。神こそ一番に忍耐してくださったお方なのです。このわが神、主をほめたたえましょう。

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