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2019年2月24日 (日)

真の礼拝

ローマ 12章1節     【新改訳2017】

ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。

本日の聖書箇所での「お勧めします」とは、<懇願する>という意味が強い言い方です。ですから聞く人々に、パウロがひざまずいて「どうか・・・」と強くお願していることになります。そうまでしてパウロが切に願っているのが、この1節を起点にした全部で24になる「クリスチャンへのお勧め」です。24_2     (右図参照)

 この24にもなる勧めを見、その「言わんとすることは何か?」と言えば、理想だが実際に行うのは大変難しい、そう思ってしまう所が多いことです。のです。例えば15節の「泣いている者たちとともに泣く」ことはできても、「喜んでいる者たちとともに喜ぶ」ことは、人間にはねたみうらやむ心があって、完全には難しいことです。ただしこれは人間的には、でしょう。

 モーセの律法が、人間の罪を明らかにするためにあったように、パウロのこのクリスチャンへの勧めも、肉なる人のままではできないことを明らかにしています。ですからパウロは冒頭にきちんと「あなたがたのからだを、神に喜ばれる生きたささげ物として献げなさい」とあらかじめ断ったかのように言っているのでしょう。

 神殿の時代、何らかの節目には必ず神殿で犠牲の動物を献げました。その時代は現在のように冷凍冷蔵も急速乾燥もありませんでしたから、神に献げる最高に鮮度の良い物は、その動物を生きたまま献げることでした。ですから、現在に適用するなら、神に喜ばれる献げものとは、今生きている私たち自身のことであり、実際の体そのものということになります。

 もちろん皆さんのなかには、「すでに私の心と霊をすでに献げています」という方もおられることでしょう。それは尊いことです。しかし血肉の体を持っている以上、霊肉はしばしば相反する働きをしますし、体を完全に従わせることは大変難しいと言わざるを得ません。私たちは血肉の体という弱さを持っているのです。しかし神に完全に献げられたものは聖別され、「生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死に」(ロマ14:7-8)、聖化が恵みとして与えられていくことが約束されており、パウロの「24のおすすめ」が実践されていくことでしょう。従って「パウロの24の勧め」とは、主に触れられ新生した、あるいは聖霊のバプテスマを受けたというレベルの方々のものであり、そうでない方々は、究極的には自分もそうなるのだと希望を持って祈り、求め続けられるべきなのです。

 皆さんは、そのように主のものとされることを祈っておられると思います。しかしそれには時があります。神が試練とともに、一人一人に受け入れられる真実の姿をあらわにされ、見せてくださる時です。自分の罪深い真の姿を知り、悔い改める時が来た時がその時です。その試練とは神の愛です。自分の力ではなく、神が私たちをつくり変えてくださるのですから。

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