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2019年3月17日 (日)

愛がなければ

✝Ⅰコリント  16章14節     【新改訳2017】
いっさいのことを、愛を持って行いなさい
 1コリントの12章から16章の本日の聖書箇所を通してみると、パウロがこの手紙を通して何を一番言いたかったのかがよくわかります。
12章31節で「よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい」と言いながら、それに続く「はるかにまさる道を示しましょう」とは<愛>のことでした。13章3節でも「愛がなければ何の役にも立ちません」と言っています。同13節では真・望・愛の中で「一番すぐれているのは愛」だとしています。次の14章の1節では先ず、「愛を追い求めよ!」とばかりの強い命令形で述べていますが、御霊の賜物、預言を特に熱心に、と奨めているだけです。最後にこの16章では振り返って、念押しのように「一切のことを、愛を持っておこないなさい」と締めくくって述べています。
 このような賜物と愛の関係理解は、私たちの群れの名称が最近「The Light of Eternal Agape」に変わったことと結びついていると思われます。
 さて「一切のことを愛をもって行う」というみ言葉を自分に適用する時、私には深い悲しみが生じます。かつて人と自分を見比べていた時代ならともかく、今自分自身を振り返るならば、愛を持って接したつもりの多くが、「自分が良く思われたい」とか「売名行為」の下心が無かったとは言い切れないのです。たとえ自分を捨て、相手のことを思っての対応をしたはずの事ですら、それは相手の人の反応を読み、自分にとってもより利となり益となるための抑制に過ぎなかった…そんな見方もできる…と気づかされるのです。
 私は良いと思うこと、愛を純粋に行うことができない自己中心な者であり、あわれな偽善者なのです。しかしこの時、ローマ7章7節のみ言葉が開かれました。律法が無かったらな私たちは自分の罪深さがわからなかったように、新約の唯一の律法である「愛しなさい」は、愛せないこと、愛する力が無いことを明らかにしました。そんな自分にほとほと愛想が尽き、自分を神の愛と十字架に献げ、ただみ心だけを行ないたい、そんな決心をさせる力になりました。愛は神のもので、私にはありません。しかし神の愛を反射させることはできます。自分の力でなかなか自分を神に献げきれないのですが、神が助けてくださるのです。その意味で自分の罪深さがわかるということは、神の愛がわかり、自分を献げる土台の力となる恵みだと合点するのです。ハレルヤ、神は愛であり、真実な方です。
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