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2019年3月10日 (日)

真実な神

Ⅰコリント 10章13節     【新改訳2017】

あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。

あなたがたが経験した試練は、みな人の知らない試練ではありません」と聞いて、反発される方が多いでしょう。自分の受けた試練は過酷で、特別だと思いたいのが人の常でしょう。しかしこの言葉から、神は個々人に与えている試練をすべてご存知であり、神の手の中で許容されていることがわかります。全知全能の神はすべてをご存じなのです。

「神は真実な方です」とは本日のテーマです。私が試練のどん底にいた時、神がひょっとして私を「弄んでいる」「いたぶっている」のではないかと疑ったことがあります。後に大変後悔し悔い改めましたが、神には決してそのようなことができません。私は血迷って思ったのです。その時、私以上に神も苦しんでくださっていたのです。これは後になって神が私に触れてくださった時に、一気に氷解してわかったことです。

「あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません」全知全能の神の手の平の中での試練です。必ず解決があると安心し、過度に患わないようにしましょう。耐えられる保証を神がしてくださっているのですから。その上で、試練のその先に私たちをこの道を通してでないと得られない祝福があるのです。神に期待しましょう。ただ感謝です。

「むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道を備えてくださいます」とは、今直面している困難に何か抜け道やバイパスを見つけると考えるより、困難に耐える力を神が与えてくださると解する見方があるようです。が、私は両方ともあるのではないかと思っています。いずれにしても脱出の鍵は神の言葉と感謝の信仰です。

パウロはビリピでは神が起こされた地震によって助け出されました。しかしいつも必ず助け出されたわけではなく、鞭打たれたり、石打ちにあったりと何度も死にそうな目に遭いました。それでもパウロは、神への忠実と信仰を失うことはありませんでした。ですから、今くじけそうな重荷や試練にあえいでいる方、失敗だらけで、まるで自分が不良品のように思えて「自己否定」したり、希望を失いかけている方、その方に申し上げます。それは神を悲しませることです。陶器師である神は、あなたを失敗作として世に送り出したのでしょうか?そんなことはあり得ません。それは世的な見方で自分を見ているからです。神の見方ではありません。神は真実な方で、神にあっては失敗作は存在しません。

 だいたいこの罪深い自分のために、世界の創造主である神ご自身が、あなたの罪のために十字架に架かって下さった。この愛に勝る価値、奇跡は計り知れない恵みです。帳消しにされ赦された自分の罪の深さが、まだ十分には分かっておられないのかも知れません。

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