フォト
2019年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

« 隔ての壁 | トップページ | 神に喜ばれたい »

2019年4月14日 (日)

神のかたち

コロサイ 1章15節  【新改訳2017】
御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。
      
聖書のかなりの部分を受け入れながら、キリストが三位一体の神であることを信じられない人たちがいます。しかしこのコロサイ1章15では、イエスは神のかたちであって、目に見える神であると言っています。またイエスの裁判で、肯定すれば「冒神罪」で死刑を免れないシーンで、「わたしはそれ(神の子)です」(ルカ22:70)とイエス様は肯定されました。
3年半、朝な夕な身近に接して来た筆頭弟子のペテロは「あなたは生ける神の子キリストです」(マタ16:16)と告白しました。当時のユダヤ社会を考えるなら、この告白は相当な覚悟を伴ったものです。イエス様の復活という超奇跡は「五百人以上の兄弟たちに、同時に現れ」(1コリ15:6)ました。これも驚くべきことです。

神が肉体を伴って世に現れる、驚天動地のこの目的はいったい何でしょうか。それは神は高き御位に座して良しとされず、地に降りて神のすがたを現し、人々に神を信じさせるためでした。それは十字架上で人間のすべての罪を贖って、信じる者には永遠のいのちが与えられること、復活によってその確かさを明らかにするためでした。
それまでイスラエルを通し、律法が与えられていましたが、その律法によっては人は救われないことがハッキリした、まさにその時にイエス・キリストが世に来られたのです。この神の受肉と身代わりの贖罪を一言で言えば、神の「愛(Agape)」です。イエス・キリストは神の子であり、同時に神そのものでした。このイエスのうちに、神のすがた、神の愛の本質が溢れているのです。

では少しだけ具体的に聖書を見ていきましょう。まずイエス様ご自身がご自分のことを「七つのI am」(資料1)として語っておられます。イエス様の愛を端的に示すものとして「十字架上の七つの言葉」(資料2)があります。
私自身で言えば、マタイ伝5~7章で語られている公生涯最初のメッセージを読んだ時の衝撃を思い出します。「心の貧しい者は幸いです」、「情欲を抱いて女を見るものはだれでも、心の中ですでに姦淫を犯した」、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」「まず神の国と神の義を求めなさい」。平易なことばであっても、まさに一刀両断のように私を捉えました。これは人が語ろうとしても語れるものではない、語った人、この人は人間の姿をしていても神だ!と思ったのです。 

« 隔ての壁 | トップページ | 神に喜ばれたい »

イエス キリスト」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 隔ての壁 | トップページ | 神に喜ばれたい »