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2019年4月21日 (日)

神に喜ばれたい

Ⅰテサロニケ 2章4節 4章7節  【新改訳2017】

 むしろ私たちは、神に認められて福音を委ねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせるのではなく、私たちの心をお調べになる神に喜んでいただこうとして、語っているのです。

 神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。

聖書1テサ2:4に「私たちの心をお調べになる神」と言う類のことばがいくつか出てきます。雀の一羽でさえも神のゆるしなしに地に落ちることはなく、私たちの髪の毛の数まですべて数えられています。ナタナエルという十二弟子の召命においても、主はナタナエルが居た場所まで言い表されました。

このことはつまり、私たちのすべて・・・・それがどんな小さなことであろうとも、神が知らないということはないと言うことです。これを聞いて、それでも神を恐れない人が果たしているでしょうか。かといって全知全能である神の前で、自分を守ろうと弁解することほど愚かなことはありません。しかしポイントになるのは神はこのような罪深い愚かな私をも十字架で愛してくださり、ご自分の命を持って救って下さったという信仰です。ですから神の愛に応え、神さまのふところに飛び込むことしか他に道はありません。

以上のことを抑えた上で、この「心をお調べになる」ことばのすぐに「神に喜んでいただこうとして」ということばが続きます。これはパウロがよく言うことばです。愛は愛でしか応えることはできません。神の愛に答え、神を愛する者にとって、神が私をすべて知って下さるということは喜びですし、何とかして神を愛そうという心が湧いてきます。

愛とは最大限の関心を相手に持つことです。すべてを知りたいのです。事実婚と言って、籍を入れず、いつ別れてもいいように、家にあるものはすべて買う時から所有者が決まっている形があるのだそうです。これは極端として、夫婦でも互いのスマホを見てはダメとか言うカップルがあるそうですね。私はこれを聞くと、そこには秘密という罪があるように感じてしまいます。神さまはすべてをご存知です。愛すればこそ相手のすべてを知りたいのです。私たちも愛する神さまを知りたいのです。何とかして神さまを喜ばせたいのです。

 この群れではよく「神のみこころは?」をよく祈っています。みこころを聞くことは確かに大切ですが、1テサ4:7では「神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです」と大前提がはっきり語られています。これは自分の努力や行いで聖なる者になることではなく、パウロのように、「神に喜んでもらいたい」と常に神を愛する行いから聖とされていく、私はそのように示されています。私たちが神に喜んでもらおうと心から行うなら、その稚拙は関係なくそのすべてを神は喜んで下さり、天国での最上の宝として取っておいて下さることを信じます。目を世にではなく、天に向け、何とかして天のお父様に喜んでいただく生活をいたしましょう。

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