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2019年5月 5日 (日)

この岩の上に

マタイ 16章15-18節    【新改訳2017】

イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」
すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。
そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。

<1>教会は、ペテロが代表して「あなたこそ神の子キリストです」の自発的な信仰告白が土台です。
<2>教会が具体的にスタートしたのはペンテコステでの聖霊の注ぎと働きからですが、教会の頭(かしら)はキリストです。このキリストが言われて居ように、三位一体の助け主、聖霊の働きによって最初は三千人の教会からスタートしました。聖霊の臨在とその働きがなければ、教会はそのいのちを失ったも同然になります。
<3>クリスチャンの使命とはキリストの十字架と復活の全世界での証人です。教会は証人としての働きの土台ですが、キリストの御体そのものであり、世界宣教への母体です。ですからクリスチャンは自分の体である教会を離れては存在出来ず、その肢体の一つとなって恵みを受けて生きることができるのです。
教会には福音宣教を広める以外に、教え育てる、聖礼典を執行するなどがあります。
私たちクリスチャンは御体の一部としての働きを全うしていきましょう。

私はバプテスマを受けた二十歳の時から、教会を中心に生活してきました。日曜日には一家そろって教会へ、そんな私でしたが、教会の恵みを心から思い知らされたのは、皮肉にも自分の教会を失った時でした。
それは前の妻が拒食症を発症したためです。普通の福音派の教会でしたので、医師からは絶望的な宣告をされました。癒やしだけが最後の希望でした。しかし教会には癒やしがありませんでした。初期の時代の溢れるほど載っている癒やしは、聖書が完成した今、もう終わったと言うのです。しかしこれは聖書のどこにも記述がないのです。神の癒やしにしかすがろうとした者にとって、これはいきなり家を追い出され、路頭に迷ったようなものでした。

こうして癒やしと教会を探す十年にわたる放浪が始まりました。本当に辛かったですね。信仰もどんどんレベルダウンしていきました。家族がバラバラになり、生きる目標も失ってもう終わりだという時、神は私の自分の真の姿を教え、悔い改めさせ、ご自分をハッキリとわたしの前に現されました。その日一日中私は神のリアルな存在に圧倒されつつ、「主よ、癒やしを否定し、死んだような教会では無く、どうか私のいける生きたからだ、私の教会を与えてください」と祈りました。

不思議なことにその夜、主はインターネットで、それまで全く知らなかったTELA (旧主の十字架クリスチャンセンター)を教えてくださり、なんと翌日には聖会までセットされている素晴らしいタイミングで導いてくださいました。翌日、私は不安と期待で聖会の会場に着きました。すでに始まっていたらしい会場のそのドアの隙間から漏れる光、わたしはそれだけで自分の教会が「ここだ」という、ついに見つけた喜びに包まれたことを忘れることができません。教会がなかった苦しみを通し、真実の信仰がある教会こそ、本当の教会であることを、皆さんと分かち合って喜びたいと思います。

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