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2019年8月11日 (日)

誰が救われるのか

マルコ 10章26節   新改訳2017
弟子たちは、ますます驚いて互いに言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」 

 常に人だかりがあったイエス様の周囲で、ある日突然、誰もが知る立派な服を着た一人の人が皆から跳び出し、イエス様に駆け寄って来たのです。思いあまっての行動に違いありません。誰もが知っていた有名人物、非常に富んだ人、品行方正で評判の良い若き指導者でした。その地方の貴族とか議員のような人だったかも知れません。押さえて置きたいことは、当時のユダヤで豊かさは神から祝福を受けていると思われていたことです。

 その彼がなんとイエス様の前に出て膝まづき、思いあまったように質問をしました。「良い先生、永遠のいのちを得るためには何をしたら良いのでしょうか」と。この青年には真実を見分ける目があり、良質で正しい問題で悩んでいたのです。
 イエス様はこの青年に対し、十戒の第五から第九までを守るように言われました。青年はそれらを皆守っていますと答え、それでも自分には永遠のいのちが得られる感覚がないことを言わずもがな語っているのでした。

 この青年に対し、慈しみながらもイエスは「あなたに欠けたものが一つある」、それは十戒の十番目、隣人愛ですとズバリ指摘されました。そして具体的な解決法、「全財産を貧しい人に施し、その上でわたしに従ってきなさい」とイエスは言われたのです。

 ところが若者は多くの財産があったため、この勧めに従うことができませんでした。青年は世の富を捨ててまで、永遠のいのちを得ようとは思わなかったのです。悲しみながら去っていく青年に対し、イエス様は嘆息して「金持ちが天国に入るのは、らくだが針の穴を通る方が易しい」と言われたのです。

 栄枯盛衰、世でのどんな富も時間とともに必ず消え失せます。富は死後の世界にまで持って行けないことは皆知っています。また愛する家族が、財産の相続を巡ってどれほど骨肉の争いを繰り返してきたことでしょうか。世の富、財産は、神の国を目指す者にとっては躓きの元となり、足かせとなり、自身を滅びに至らせる呪縛ですらあります。

「らくだが針の穴を通るより・・・」しかしその絶望に対し、「神にはどんなことでもできる」と神は手を差し伸べられています。神の恵みとあわれみは不可能を可能に、奇跡を起こすのです。

 世と富みに依存する心も、悔い改め、神のあわれみにより聖霊のバプテスマを受けるならば、全く価値観が変わってしまいます。それは畑で宝物を見つけた人のように、自分の全財産を売り払ってでも、その畑を手に入れようとすることに似ています。これは神がされる心、たましい、霊の奇跡であって、人には不可能なできごとなのですから。

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