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2019年9月22日 (日)

驚くべき逆説

ヨハネ 12章23~25節   【新改訳2017】 

すると、イエスは彼らに答えられた。「人の子が栄光を受ける時が来ました。
まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。
自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。

「驚くべき逆説」
戦後大きく成長した教会は、先の大戦で軍部に抵抗し、牧師級の殉教者を出した教団の流れです。韓国ではもっと犠牲を払っていますから、この言葉は証明されているのです。種は発芽という死によって、一粒の種が何十倍、何百倍と実を結びます。自然のこの驚くべき法則は、信仰にも同じことが確かに言えるのです。

「自分を憎む」とは?      Holyspirit
信仰を持たれたのは、みなさん、ご自分のために良かれと思ってお信じになったはずです。それなのに「憎むなら、永遠のいのちに至る」とはどういうことでしょうか。いったい、自分が一番大切なはずなのに、このことばは一見して理解が困難です。自分の命を失ったら元の木阿弥で、何が得られるというのでしょうか。

○憎むと言う言葉は基本的に使いたくない言葉だと思われますが、聖書では全く違う使い方をしています。それは自分自身の心の内側、その世的な志向、絶えず攻撃し惑わしてくる肉なる思い、それらをまとめるなら自己愛と言うことになるでしょうか。「憎む」とはこのような自分に対して、神の霊によって戦うことを意味するのです。自己愛の死、それはつまり神がその人の主となることであり、みこころの人となることを意味します。(※参照「自分を捨て、自分の十字架を負って」・・・マタイ16:24、マルコ8:34など)

この自分に死ぬことは、決して一度きりで終わるものではなく、血肉のからだがある限り続く、執拗な戦いとなります。常に神に祈り、聖霊の力に依り頼むしかありません。ですから懲りない相手に対し、「憎む」という強い意志をでの表現になっているのです。このように、繰り返されていく戦いの段階に入っていない方にとって、「憎む」意味が理解できないのは当然です。どのようなクリスチャンでも、神の時が来た時にはわかることでもあります。

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