神を愛する人
✝ローマ 8篇28節
「神を愛する人」 2019
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
◎「神を愛する人」とは、すなわち「神に召された人」だと言っています。他には「聞き従う人」だとも言われていますが、聞き従う人の中には神を愛するだけでなく、恐れて従っている可能性もあるので完全イコールではないでしょう。では神を愛し、神の計画にしたがって召される人とは、どういう人なのでしょうか。このことがわかりやすい人物、モーセの生涯から理解してみましょう。
◎モーセはレビの正しい祭司の家系で、弾圧されてナイルに流されたことが、逆に王女によって子とされ、当時の世界の最高の教養を身につけることになりました。そのモーセが四十歳になった時、同胞を顧みる心が与えられ、自分の手によってエジプト人から同胞を救おうとしたのですが、受け入れられることなく、ミディアンの地に逃亡しました。チッポラとの出会いからモーセはミディアンの地で雇われ羊飼いとして四十年間生きましたが、羊飼いとはエジプト人からはさげすまれた職業であり、その雇われ羊飼いとなるともっとみじめな立場です。神はモーセを世界最高の王子の身分から、最低に近い身分に落とされました。そのモーセがある意味でみじめなまま、八十歳という人生の終わりが近い歳になった上で召されたのです。
この時、エジプトの王子として成人した過去が用いられました。王と渡り合い、民を脱出させる困難なミッション成功には、モーセ以外では不可能でした。脱出しても荒野を知らないイスラエルの民を護り導く指導者としても、羊飼いで得た知識や土地勘も大いに役立ったことでしょう。まさに神が約束の成就のため、生まれる前から召していた逸材です。しかし何よりも神がされたのはモーセを自分の力の愚かさを知らせ、徹底して神に聞き従う人物に変えられたことです。モーセにとっての最高の恵みとは最悪な経験でした。これが無ければ、モーセは通りよき管として生まれ変わることは無かったことでしょう。神は人というものを、よくよくご存知なのです。
○○神を愛する人とは、神によって最悪な経験を与えられる人のことです。それによって自分の弱さと愚かしさ、罪深さを徹底的に知らされ、肉的な人生jへの希望を失って、ただ神にのみ依り頼む人へと新生させられる人のことです。このような人は自殺するか、さもなくば神に生きるしか希望が無くなります。そのため、「自分の十字架を負って」とか「自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになり」(ピリピ3:7)とは、このような神を愛する人の言葉になるのです。
神を愛する人とは、神によって最悪な経験を与えられる人のことです。それによって自分の弱さと愚かしさ、罪深さを徹底的に知らされ、肉的な人生jへの希望を失って、ただ神にのみ依り頼む人へと新生させられる人のことです。このような人は自殺するか、さもなくば神に生きるしか希望が無くなります。そのため、「自分の十字架を負って」とか「自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになり」(ピリピ3:7)とは、このような神を愛する人の言葉になるのです。
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