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2019年11月24日 (日)

神の国はあなたのただ中にある

ルカ 17章20-21節   【新改訳2017】
パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。
『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」

 この「神の国はあなた方のただ中にある」と言う言葉は私がごく若い時から大好きなところでした。ただ頭では理解できていても、実際には意味不明な難解なところでもありました。皆さんでも、<ただ中>ってどこだと思われますか?
 水のバプテスマを受けると、聖霊が内住されることはわかります。しかしながら「神の国は、この中のどこのにあるんだ?」と自問自答が残るんですね。頭の中?いやハート??の中?とか。何となく漠然とした理解、把握のままではないでしょうか。

 ところで今回、そんな風に具体的なところばかりを考えているうちは、絶対にわからない(笑)ことが示されたのです。というか、それで納得したのです。神の国とは聖霊様の居られるところです。私の此所(ここ)、とか、あそこに、ではないのです。では、聖霊様は内住していらっしゃるはずですが、私のどこにいらっしゃるのでしょうか?

 たいせつなことは、聖霊さまはわたしのもの、所有しているものではありません。この罪深い者が罪に気づき、悔い改め、この私を十字架で愛してくださり、罪を赦してくださって聖別された上で、聖霊さまが私の中に入って来て下さります。そしてその方に私は私自身を献げ、私の首座にすわっていただく時はじめて、神の国が私のただ中に現出します。

 つまり私は神の国は、私たちが祈りを通し、神を求める心の中に、その応答として聖霊様との交わるうちにできている、と理解できます。それで神の国を私たちが求めても、なかなか得られないのは、おそらく「本気で求めていない」ためです。

 神さまは神さまの御人格をお持ちです。わたしたちがたとえどんなに幼かろうと、真剣に神を求め、心から呼ばわるなら、神は必ず答えてくださります。しかしその逆に、祈ったとしても、それはただ「自分の望んでいること」だけの答えしか期待していないような祈りとか、ただ習慣と惰性で祈っているならば、それは答えられないのです。心の王座を明け渡していなければ、そのような結果になります

 ですから神の国はどこにあるのか? それは信じる者の心の中にあるのではなく、正しくは現れるものです。自分のもののように理解してはいけません。ですから問題は私たち側にあります。試練や困難を通し、私たちが心からの自分を明け渡し、献げるように導いておられるのは、この恵みの場に招きたいがためなのです。そして私達が心の奥底から求めるなら、神の国は私たちのただ中に、確かに見出されていくでしょう。

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