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2019年12月 8日 (日)

御霊のからだ

Ⅱコリント 5章2節   【新改訳2017】
それなのに、あなたがたは思い上がっています。むしろ、悲しんで、そのような行いをしている者を、自分たちの中から取り除くべきではなかったのですか。

体の健康について、私は異常なほどの熱気というか執着を感じた機会がありました。メタボ予備軍になって、市の健康教室に参加した時のことです。その熱気に驚きながら、その時私は「ああ、血肉の体だけが唯一の希望なんだなあ」と悲しく思わさせられました。

 聖書によりますと、人は二つのいのちを持ったハイブリッド的な存在です。血肉の命と霊のいのちの二つです。血肉の体は限りあるものですが、霊は永遠の存在です。血肉の命がある間の選択で、永遠のいのち、霊の行き先が決まります。つまり血肉で生きてるということは、同時にこの選択の時間を歩んでいることになります。

 そもそも人は万物の創造の締めくくりに、神によって「神の形に創造された(創世1:2627)」存在です。エデンの園に住まわせられた時、人に全ての命の支配と、園の中央に一つの戒めを与えられました。これは神に聞き従うかどうかの、自由なる意思決定を委ねられたということです。同じ被造物であっても、天使には血肉の体も、自由意志も基本的には与えられていませんので、人が神を信じるなら、天使よりも高い存在なのです(ルカ4:10.ヘブル2:9-16)。

 地上での血肉の命を終えて天に行けば、「裸の状態でいることは」(2コリ5:3)はありません。ただ、この御言葉には少しの注意が必要です。つまり、携挙の際には、「まず、キリストにある死者がよみがえり」(1テサ4章16節)とありますので、殉教者のような特別に召された人以外には、その時までどのような過ごし方をしているのか不明です。いずれにしても携挙では、全員が御霊のからだを与えられることは確実です。

 ところで問題はそれまでの地上での生き方です。「肉体を住まいとしている間は、私たちは主から離れている」(2コリ5:6)のですから。逆に言えば私たちクリスチャンには主と一つになる希望があり、私たちのために神が用意してくださる天の住まいがあるのです(2コリ5:2)。今地上で困難に呻いていても、一時のことなのです。心からの願いは「 肉体を離れて、主のみもとに住むほうがよいと思っている」のです。

 この滅んでしまう血肉の体にしがみついている多くの日本人へ、あまりにも恵まれている者として、証し人しての使命を痛感します。

 

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