信仰と疫病(パンデミック)
✝Ⅱサムエル 24章13節 【新改訳2017】
ガドはダビデのもとに行き、彼に告げた。「七年間の飢饉が、あなたの国に来るのがよいか。三か月間、あなたが敵の前を逃げ、敵があなたを追うのがよいか。三日間、あなたの国に疫病があるのがよいか。今、よく考えて、私を遣わされた方に何と答えたらよいかを決めなさい。」
新型コロナウイルスは、世界中でパニックを起こしつつあるようです。昨日(2月29日)、WHOが事実上のパンデミック(世界流行)宣言をしたので、もはや事態は決定的となりました。日本でも各地で患者発生が確認され、隣の市川市や本市でも発生しました。
3月からは全国の学校も閉鎖されました。日本への中韓二カ国の旅行者は、関空と成田の二箇所だけで入国することになり、二週間の待機を要請されることになります。
これをもって一部のキリスト教会では世界の終わり=終末が近いと強調される所が多いでしょうし、実際ある意味、部分的にはその通りでしょう。しかしこれは聖書によって神があらかじめ語っておられたことであり、しかも本当の終末の大患難時代はまだ来ていないのですから、その予行練習として受け止めるべきです。
今回に限ったことではなく、紐解いてみれば人類は、このような疫病との戦いの連続でした。14世紀のペストは、全ヨーロッパの総人口の1/3 2500から3000万人が死んだと言われています。驚くべき致死率であって、ほぼ村や町が全滅した所もありました。16世紀には天然痘がありました。スペイン人によってもたらされた天然痘によって南北アメリカの先住民の人口が1/10になったと言われ、アステカやインカ帝国はこのために弱体化し、滅ぶ原因にもなりました。
現代は、船や馬車で移動していた時代と全く異なる環境にあり、そのことがウィルスが瞬く間に世界中に広がった原因です。幸いなことにこの新型コロナウイルスは致死率が低く、過度に恐れる必要はないと思われます。いろいろな人との濃厚接触やそのような場に行かないようにすること、手洗いなどをきちんと気をつけていれば、後は神様に祈ることが最大の果たすべきことになるでしょう。クリスチャンに限って言えば、困難とか病は神が許されたことです。許されたからには、必ずその御心があり、良きことに変えられます。
しかし人間的に恐れて行動すること、例えばトイレットペーパーの買いだめに走ったりすることは慎みましょう。恐れに支配されることは、悪霊に支配されることになるからです。どんなに悪いと思えることも感謝することは、私たちの特権です。ですから人々がどのような行動に走ろうとも、私たちは神を信じ、その具体的な行動、信頼し委ねて歩みましょう。それが今回の予行練習です。
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