疫病の時代
✝Ⅱ歴代誌 20章9節 【新改訳2017】
『もし、さばきの剣、疫病、飢饉などのわざわいが私たちを襲うなら、私たちはこの宮の前、あなたの御前に立ちます。あなたの御名がこの宮にあるからです。そして、私たちは苦難の中からあなたに叫びます。あなたは聞いて、お救いくださいます。』
今年になって、疫病の新型コロナウィルスが世界的な大流行(パンデミック)となりました。3月1日にも触れましたが、今回、さらに対応と言う面で語ることを示されました。
その時にも触れましたが、人類が経験したのは今回が初めてのことではありません。14世紀、雲南省から全ヨーロッパに猛威をふるった黒死病(ペスト)は、致死率60%の恐るべきものでした。イタリアのジェノバでは人口6万が2万4千人になりました。40度の熱が発症したかと思うと直ちに呼吸困難になり、数日で死んだと言われます。
それ以後、15世紀の天然痘、百年前のスペイン風邪、32年前の香港風邪や、最近数カ国内で抑え込みに成功したSARSなど、その多くは中国発でしたが、世界は疫病に見舞われ続けて来たのです。
一羽の雀でさえも神の許しなしに地に落ちることはないのですから、通常このような疫病は神の許しなしには起こり得ません。ではクリスチャンはどのように対応したら良いのでしょうか。
勿論多くのクリスチャンは自分が罹患しないように祈られることと思います。しかし今回、私が示されていることは、この病は信じる者信じない者の区別なく罹患するだろうと言うことです。「え~っ、それじゃあ、信仰の意味がない」と思わないでください。要するに御利益信仰では効果は無いと言う意味です。しかし神の力は罹患した後、はっきりと現れるのです。神の力と栄光をクリスチャンは感染して現すのです。神は愛する者を訓練し、苦難と困難の中で守られ、触れてくださり、栄光を現されるのです。
私たち神を信じる者に常に問われるのは、神は自分のための魔除けや御利益をもたらすために信じているのかと言うことです。ある意味、困難にあって「自分は神から見捨てられた」、とか「沈黙して答えて下さらない」と思うのは、自分が神となり、神を自分の思う通りに従わせようとしているからです。それを高ぶりと申します。そうではなく、私たちは自分に死に、死んで初めて神の証人となるのです。
これからイギリスの北アイルランドで、今回のコロナウィルスに罹患した、ある牧師のFaceBookビデオを観ていただこうと思います。重要なことは、この牧師が体験された言葉だからこそ、百や千の言葉に優って私たちの心を捉えると言うことです。罹患したからこそ、生きた神の証し人、証人となったのです。
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