フォト
2020年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

« 伝道と証し | トップページ | 疫病の時代 »

2020年4月12日 (日)

イエスの復活

Ⅰコリント 15章3-6節   【新改訳2017】

 キリストもご自分を喜ばせることはなさいませんでした。むしろ、「あなたを嘲る者たちの嘲りが、わたしに降りかかった」と書いてあるとおりです。
 かつて書かれたものはすべて、私たちを教えるために書かれました。それは、聖書が与える忍耐と励ましによって、私たちが希望を持ち続けるためです。
 どうか、忍耐と励ましの神があなたがたに、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを抱かせてくださいますように。
そうして、あなたがたが心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父である神をほめたたえますように。

 約二千年前、主イエス様がよみがえられたことを祝う日が来ました。教会暦で唯一の移動祝祭日です。よみがえりに関して、聖書には七つの生き返ったという記事があります。しかしイエス様の甦りはこれらの七つとは、全く別物であって、空前絶後の出来事でした。このよみがえりを、今朝はリアリティを持って信じることを考えてみたいと思います。

 まずイエス様のよみがえりは、人の手に依らなかったものです。次によみがえった体は、まったく異なった、不死にして超自然的な御霊の体でした。御霊の体・・・それがどれほど人の理解を超えたものであったか、その姿を見た弟子たちがいかに狼狽し、なかなか信じられなかったかを見ていきましょう。

 弟子たちはよみがえりをあらかじめ、幾度も聞いていました(マタイ16:21、17:9・23、20:19、26章:2)。それがいざ現実にとなると、なかなか信じることが困難だったのです。
 女たちが日曜日の朝、最初に行きましたが、よみがえりを期待してではなく、正式な葬りの準備をするためでした。マグダラのマリヤは空の墓を見ても、誰かが遺体を移動したとしか思えませんでした。マリヤの報告を聞いても、弟子たちは信じることができませんでした。ただヨハネだけが、空の墓を見て即座に信じたのです。

 あまりにも弟子たちが信じようとはしないので、その夜主は、弟子たちの前に現れて、信じようとはしなかった頑なさをお責めになりました。しかしそれでも弟子たちは、幽霊だと思ってしまったようなので、イエス様はご自分の手や足、脇を触ってみなさいと語られ、彼らの目前で食事を摂られました。御霊の体の主を前にしても、弟子たちはこれほど信じることができなかったのです。
 イエス・キリストのよみがえりの仕上げは、五百人の前に現れることでした。これだけ大勢の人が同じ情景を同時に見て、全員が同時に幻や夢を見たと否定することは不可能です。つまり、イエス様のよみがえりは、それが事実であったと信じるしかありません。

 この時、弟子たちはまだ聖霊のバプテスマを、受けてはいませんでした。つまり人間的な判断しかできなかったのです。しかし今私たちは、聖霊によって、命に優るこの大いなる希望を信じ、実際に得ています。イエス様のよみがえりを真に、リアルさを持って信じるなら、どんな困難も、たとえコロナウィルスによって命が脅かされようとも、揺り動かされることはないのです。最も大切なこと、それは私たちはよみがえりの永遠のいのち、その証人であり、世に打ち勝つということです。

« 伝道と証し | トップページ | 疫病の時代 »

聖書」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 伝道と証し | トップページ | 疫病の時代 »