信じる者は永遠のいのちを持つ
✝ヨハネ 6章47節 新改訳2017
まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています。
先ほど使徒信条を交読しましたが、私たちの東京アンテオケ教会ほか、カトリック教会まで含めて、ほとんどのキリスト教会は使徒信条を自分たちの教会の信仰告白にしています。また〇〇教団とか単立〇〇教会と、それぞれ特徴を持った教会がたくさんありますが、実際には教会は一つしかなく、このことを普遍的キリスト教会と言ったりします。
使徒信条(しとしんじょう)
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊(せいれい)によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり、かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審(さば)きたまわん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し(ゆるし)、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン
ですから使徒信条は聖書ではありませんし、聖書以上のものではありえませんが、本当の教会であるかどうかのバロメーターになるものです。どうしてでしょうか。それは三位一体を明確に現しているからです。つまり、極めて初期の段階から三位一体を否定する異端は、イエス・キリストを最高度の人物のように扱いながら、どうしても人間としてしか見ようとしなかったことをあらわしています。実際、現代でも「エホバの証人」「モルモン」などは、イエスが神であることを認めません。これは二千年間も続いているサタンの攻撃なのです。
しかし、イエス・キリストが神であることを信じることが、使徒の時代から受け継がれてきた普遍的な教会の信仰であり、それは、イエスが聖霊による処女降誕であること、十字架で死んで復活し、今もなお神の右に座しての審き主であることを信じることでした。
1世紀、140年頃のローマ信条に使徒信条は由来があり、数百年かけて現在の形になりました。つまり使徒の信仰をもっとも表していると言う意味で使徒信条と名づけられているのです。またこれはおそらく使徒の時代直後からずっとバプテスマの前に、査問会のような信仰を問う場において投げかけられる問いでもあったとされています。
ですからみなさん、謙遜に謙虚になりなさい、賜物の働きは、注がれば注がれるほど人を畏れさせ、謙虚にさせる。リバイバルの大いなる注ぎの前に、神のものを自分のものにしないように、心からの徹底した謙虚さが前提です。高慢さというものは最大の敵です。私たちは自分の霊、魂の状態に目を醒ましていなければなりません。
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