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2020年6月21日 (日)

偽り

 Ⅰペテロ 5章5節   【新改訳2017】
 同じように、若い人たちよ、長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。

 私たちは神を信じています。しかし神の弟子となり、従う者となっている人は極少数ではないでしょうか。主イエスの「自分を捨て、自分の十字架を負って」のことば通りに、自分は常に自分を捨てていると言い切れる方がどれほど居るのかと同じだからです。

 キリストの弟子は無私でなければなりません。自身が神への捧げものであり、神のものになっているはずです。世の霊と力に対抗し、戦い、肉体の死に至るまで神を信頼し、その勝利を証することがクリスチャンの生き方であり、どこまでも神に栄光を帰し、謙遜であるはずです。しかし現実には全く不十分なクリスチャンがほとんどであり、天国行きの切符をゲットしたとして安心しきって、世人と変わらない生活を送っているだけなのです。クリスチャンだと言いながら、嫉妬や肉欲に支配されているならば、その方は真のクリスチャンではありません。物欲、出世欲、気づきにくい所属欲などに心を奪われていては、神の目から見るなら、悪霊の実を実らせているのです。

 私もそうでしたが皆さんも、初めからこれらに勝つことは出来ないと諦めているおられるのではないでしょうか。神の愛も力も知らないので、そう思われるのです。どうして神の力がその人に現れないのでしょうか。聖霊さまがおられないか、またはあまりにも小さな存在なので、聞けないのです。神をそのように扱う救い難い自己中心の霊というか、高慢さが内実なのです。それに目をつむって、自分の現状を正当化しているのです。聖霊なる神をいつまで侮り、聞かず、悲しませ続けるのでしょうか。

 自分より他の人がすべて優っているといつも思いましょう。逆に自分が人より優っていると思うなら、大いに害があるのです。自分が蔑まれ、落とされるなら主の受難を偲び、与れたことを喜びましょう。どうして怒りの、妬みの感情が湧くのでしょうか。自分をよく知る者は、自分の無価値さを知っています。真の平安は、へりくだりの中にあります。

 残念ながら謙遜には自分の力でなれません。神の助けが必要であり、それなしには不可能です。ですから私たちが謙遜し、へりくだるなら、ますます神に栄光を帰し、へりくだる者となるのです。神の平安と愛の中、自分のことなど本当に小さい、わずかなことと知るのです。そこで初めて自分から解放された平安の恵みが訪れているのです。

「神は高ぶるもには敵対し、へりくだる者には恵みを与えられる」(1ペテロ5:5)です。

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