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2020年6月 7日 (日)

生き返ったラザロ

ヨハネ 11章43節   【新改訳2017】
 そう言ってから、イエスは大声で叫ばれた。「ラザロよ、出て来なさい。」

 なぜすぐにイエス様は行かれなかったのでしょうか?まず押さえておきたいことは、ベタニアはエルサレム滞在時にはここを本拠としておられたほどのエルサレムから数kmの距離であって、イエス様にとって今や危険な所です。そのためかイエス様たちはヨルダン川の向こう、ペレアに滞在しておられました。その事情を知っていたか、あるいは慎みのためなのか、イエス様に送った使いでも、マルタたちは、危険な病状にも関わらず「主よ、ご覧ください。あなたが愛しておられる者(ラザロ)が病気です」とだけしか知らせませんでした。しかしそんな気遣いもイエス様はこの事態について逐一承知しておられ、神の栄光の計画に織り込み済みのことだったのです。
  聖書にはイエス様の三つを含め全部で七つの死人が生き返った記事があります。そのほとんどが死んだ直後のケースでしたが、このラザロの生き返りだけはまったく異なります。ラザロは死んで四日経ち、すでに腐臭ただよう状態だったからです。腐乱死体を再び生きた元通りにするとは、世界の歴史始まって以来、空前絶後の出来事です。マリアの処女の受胎と同様、どのような説明も不可能です。人は信じるか、信じないかのいずれかです。

 この生き返りは最大の祭りである過越の祭に集まって来た大勢の人々が見ることとなり(ヨハネ12:9)、イエス様の都への入場の際にはなつめ椰子の枝を手に手にもって「ホサナ」と叫ぶ、大群衆へと成長したのです。この事態は時の権力者たち祭司長やパリサイ人にとって、自分たちの権力基盤が崩壊するかどうかの瀬戸際に追い込むことになりました。

 それゆえ、どんな手を使ってでも、祭司長やパリサイ人はイエス様の存在を抹殺する緊急事態に追い込まれ、何があってもそうする決心に追い込まれたのでした。つまりラザロの生き返りはイエス様が神であることと、そのイエス様を殺そうとする決心を固めさせた二重の結果を伴ったという事になります。ラザロの生き返りは、神の時が満ちたことを現す出来事でした。生と命を完全にコントロールされているこの神を、私たちは信じているのです。私たちを愛して、永遠のいのちを十字架によって与えてくださった神を崇め、心から讃美しましょう。

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