聖霊とは
✝ ヨハネ 16章7- 8節 【新改訳2017】
しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。
その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。
イエス・キリスト様の公生涯を通じて、弟子たちはイエス様が共にいてくだされば絶対的な安心を得ていました。嵐が来ようと、どんな病人や障害がある人が来ようと、何千人の人が食する必要があろうと、さらに権威や権力に頼る人々が悪知恵やたくらみをしかけて来ようと、これらのすべての結果は、驚嘆と神への賛辞に終わったのでした。しかし三度目の過ぎ越しを迎え、そのイエス様が自ら居なくなると予告されはじめられ、従っていた弟子たちに不安が生じるのは当然でした。
しかし主は「わたしが去って行くことは、あなたがたの益になる(ヨハ16:7)」と約束されたのです。その当座は理解できませんでしたが、実際そうだったのです。主はパラクレイトス(パラ=ご自分と同等の/クレイトス=助け主、慰め主)と呼ばれるもう一人の神、聖霊様を私たちに送って下さるために世に来られたのです。この神は三位一体の神ですが、私たちの内に住まわれることがおできになるのです。しかし神は」聖ですから、罪ある人には入れません。そこで神ご自身による購い、十字架の罪の赦しが必須だったのです。
ここでハッキリしなければいけないことですが、罪とは何でしょう。人は本来善なる者として創造されましたが、一人の人、アダムによって、全人類が罪人となりました。皆さんは誰一人例外なく罪人であって、滅びの子なのです。しかしひとりの人の十字架を信じることによって、罪が赦され、聖霊様が住まわれる道が開かれたのです。つまり罪とはイエス・キリストを信じないこと、これが罪なのです。
この聖霊なる神様とはどんなお方なのでしょうか。心しなければならないことは(神格と書けば誤解されますので)人格をお持ちであると言うことです。私たちが助けを求めて聖霊様に祈ったり、交わろうとするのも、もし人格をお持ちでなかったら機械や物に向かってすることになり、それこそ笑い話です。逆に人格をお持ちになるからこそ、人格の特徴である次の三つのこと…1聖霊の賜物を誰に賦与するかを決める(使徒15:28・16:6-7※しかしあくまでオーナーは聖霊様です)、2聖霊様は神のみ心を完全に知っておられる(1コリ2:10-11)ので、み心を教えてくださる、3さらに感情をもお持ちなので、私たち一人ひとりに悲しんでくださったり痛んだりしてくださる…・を忘れてはならないと思います。
聖霊なる神は私たち一人ひとりの霊・たましいに親しく交わってくださり、決して見放されず、愛し尽くしてくださる驚くべき神です。何という恵みでしょうか。私たちはこの方と共に世に在って生きるのです。
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