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2020年8月16日 (日)

信仰・希望・愛

Ⅰコリント 6章17節   【新改訳2017】

こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。

 十字架は贖われた罪、その赦しです。私たちの群れでは「十字架」と言う言葉を入れて証をすることが大切なのですが、言葉だけを入れておけば良いというものではありません。何のためにイエス様は十字架に架かってくださったのでしょうか。人は罪のゆえに、裁かれ、滅びに至るからです。しかしイスラエルの民で明らかになったように、律法を全うして人は救われることができない、ただ一方的な神の愛とその十字架を信じて滅びを免れるのです。但し、もし滅びから免れる、そのためにだけに十字架を信じたのであれば、実に神のみ心を損なっていると言えるのです。

 確認しましょう。本当に罪がわかり、神の子自身が自分の罪のために身代わりとなってくださった。その十字架を信じたならば、すべての罪が赦されます。もっと大切なことは、それは神である聖霊様が内住されるためであったと言うことです。これが十字架と復活の目的でした。これに優る恵は、この人類に存在しないと確信しています。

 しかし聖霊の内住だけでは不十分でした。ペンテコステという聖霊降臨の際には、弟子たちはすでに、神と神の子キリストも信じていたこと、つまり現代で言うクリスチャン状態であったことを踏まえてください。教会はこの聖霊のバプテスマによって誕生したのです。

 聖霊のバプテスマを受けることなしに、神を信じ聖霊が内住されても、多くの方はその存在を自覚できません。存在を感じられないものを「主」と崇め、聞き従うことはできませんから、神を「ないがしろにする」結果になります。しかし聖書はそうでないことを警告しています。自分の内に「神、聖霊の宮」(1コリ3:16-17、同6:19)があること、自分の体がすでに神の所有に移管していることなどです。

 聖霊なる神にしか神の御心を知ることができません。神が聖霊を私たちに送って下さったのは、私たちが聖霊様を通し、神の御心を知り、そのみ心を行うようになるためでなくて何でしょう(ローマ8:27,1コリ2:10)。但しこの御心を行うとは、まだ聖霊のバプテスマを受けていない状態の時のように、命じられて嫌々聞き従うのではなく、神と交わり、神の愛を知り、その絶大な価値のゆえに新生し、神を愛して、自ら進んで行うことなのです。神はそれを最も喜んでくださいます。神を愛する、これが最も大切な教えです。イエスご自身もこのように御言葉でもって教えてくださいました。

『あなたは心を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』と。

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