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2020年9月27日 (日)

祈り

ルカ 6章12節   新改約2017

そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。

 祈りはクリスチャンライフの生命線である。そのことがわかっていても、いのちの無い形式的な祈りに虚しさを感じている人や、実際どのように祈ったら良いのかわからなくなっている人、そのような人たちに祈りの基本を今一度学んでみたいと思います。
 まず私たちの救い主、イエス・キリストという方は、神そのものなのに常に祈っておられたように見受けられます。まして人間は常に祈りに身をおくべきなのです。

 聖書では祈りに、二つの土台と三つの要素とがあるようです。「絶えず祈り、失望してはならない」(ルカ18:1、ロマ12:12)ことと、「神が聞いて下さることを信じなければならない」(マタ21:22)ことです。この土台の上に、以下の三つの祈りがあるようです。
 「聖霊によって」とは悔い改め、聖霊の臨在の中で祈ることです。これはみこころを祈ることと同義語になります(ユダ1:20、エペソ6:18)。 
「感謝して」とあるように、私たちを造ってくださり、その上十字架の絶大な恵みによって、贖われた者が私たちです。常に謙遜な祈りと感謝が、いつも湧き出る泉のようになっていたいと願って祈りたいと思います。神は高ぶる者を遠ざけられ、へりくだる者を愛してくださるからです(ピリピ4:6)。
「敵を愛せるように」祈り求めましょう。心の傷に封印をし、憎しみを抱いたままで神に祈ることは不可能です。そのような状態の人には、おそらく自覚は無いでしょうが、祈りにおける臨在も感謝もあり得ませんし、神からお答えをいただくことは期待できません。ゆるさなければ、自分もまた赦されないのです。それ故、敵を愛せるように心から祈りましょう。これはみこころですから、心からそのように祈る時、祈りに平安と神の力とが生きて働く実感を経験されるはずです(マタイ5:14、ルカ6:28)。

 最後に注意しなければならないことは、偽善者のように祈ってはならないことです。人の目を意識したり、祈る姿で自分を信仰深く見せようとか、祈りに難しい言葉を用いるような偽善は神が顔を背けられる類いのものです。 自分を立派にしてはいけません。ルカ18:9のような、取税人の祈りのように、罪人として隠れた所で祈りましょう。幼子のように父の前に、ありのままで、安心しきったこころで出ましょう。父は私、私たちを愛していてくださるのです。一日一時間以上、父との交わりを楽しみにし、そのための時間が私たちは必要です。



祈りはクリスチャンライフの生命線である。そのことがわかっていても、いのちの無い形式的な祈りに虚しさを感じている人や、実際どのように祈ったら良いのかわからなくなっている人、そのような人たちに祈りの基本を今一度学んでみたいと思います。
 まず私たちの救い主、イエス・キリストという方は、神そのものなのに常に祈っておられたように見受けられます。まして人間は常に祈りに身をおくべきなのです。

 聖書では祈りに、二つの土台と三つの要素とがあるようです。「絶えず祈り、失望してはならない」(ルカ18:1、ロマ12:12)ことと、「神が聞いて下さることを信じなければならない」(マタ21:22)ことです。この土台の上に、以下の三つの祈りがあるようです。
 「聖霊によって」とは悔い改め、聖霊の臨在の中で祈ることです。これはみこころを祈ることと同義語になります(ユダ1:20、エペソ6:18)。 
「感謝して」とあるように、私たちを造ってくださり、その上十字架の絶大な恵みによって、贖われた者が私たちです。常に謙遜な祈りと感謝が、いつも湧き出る泉のようになっていたいと願って祈りたいと思います。神は高ぶる者を遠ざけられ、へりくだる者を愛してくださるからです(ピリピ4:6)。
「敵を愛せるように」祈り求めましょう。心の傷に封印をし、憎しみを抱いたままで神に祈ることは不可能です。そのような状態の人には、おそらく自覚は無いでしょうが、祈りにおける臨在も感謝もあり得ませんし、神からお答えをいただくことは期待できません。ゆるさなければ、自分もまた赦されないのです。それ故、敵を愛せるように心から祈りましょう。これはみこころですから、心からそのように祈る時、祈りに平安と神の力とが生きて働く実感を経験されるはずです(マタイ5:14、ルカ6:28)。

 最後に注意しなければならないことは、偽善者のように祈ってはならないことです。人の目を意識したり、祈る姿で自分を信仰深く見せようとか、祈りに難しい言葉を用いるような偽善は神が顔を背けられる類いのものです。 自分を立派にしてはいけません。ルカ18:9のような、取税人の祈りのように、罪人として隠れた所で祈りましょう。幼子のように父の前に、ありのままで、安心しきったこころで出ましょう。父は私、私たちを愛していてくださるのです。一日一時間以上、父との交わりを楽しみにし、そのための時間が私たちは必要です。

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