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2020年9月20日 (日)

神のかたち

コロサイ 1章15節   新改約2017

御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。

 聖書通読で「御子は見えない神のかたち」という言葉に改めてショックを受けました。旧約の十戒の影響からでしょうか、新しい律法、新しい契約においては<神ご自身が人となられた>ことをもっと重要視すべきだったと気づかされたのです。

 イエス様を見、知れば、私たちは人となった神を知ることができるのです。どのようなご人格、お人柄で、どんなことを為さり、言われたのか。そのお心はどのようなものであったのか、四つの福音書を通してわかるのです。これはすごいことであり、素晴らしいプレゼントではありませんか。他の宗教で教祖がこのように具体的に知らされることは無いでしょう。できるだけ知らせず、神秘的に覆い隠さなければ、罪深い人間の正体がばれてしまうからです。しかし私たちの神はまったく異なるのです。

 イエス様の使命は十字架にありましたが、それまでの三年半の公生涯もそれに劣らず重要だったのです。それは一言で言えば神の愛の姿をリアルに知らせるためでした。人の弱さに対応し、人類への福音そのものだったのです。イエス様は神の愛のかたちそのものだったのです。幼子を抱き、罪を赦し病を癒やし、嵐を静め、飢えた5,6千人をそのままではお帰しになりませんでした。異臭ただよう死人をもよみがえらせられました。大工の息子で教養は受けられませんでしたが、国中の学者たちも太刀打ちができませんでした。

 イエス・キリストが行ったわざに拠ってではなく、その言葉こそ実に驚くべきもの、信じる者の力です。実際、キリストの言葉は神にしか言えないもの、神の叡知と力の証明でした。言葉を聞いて信じる者は、奇跡を見て信じる者より幸いなのです。

 一例を上げましょう。パリサイ人の「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」(ルカ20:25 )
これは神の知恵の確かさを示しています。パリサイ人の家での食事において「彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです」(ルカ7:47) 神でなかったら、これらの言葉は到底語れるものではありません。

 私たちはこの神のあわれみによって救われたのです。未信者に対し、仏像とかの偶像がないから説明しづらい思うなら、それは愚かです。神を具体的には語り憎いと思うなら、血肉の形をもって地上に降りてくださった神のみこころを無にすることになります。二千年前であっても、今も私の心の中に居られ、交わっている確かな人物、主イエス・キリストを私たちは個人的に、いきいきと語れば良いのです。

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