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2020年10月11日 (日)

御霊に導かれる

✝ ローマ 8章14節   【新改訳2017】

 神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。

 本日の聖書箇所は「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです」ですが、これには注意が必要です。これを「クリスチャンはみな神の子ども」と解する人が多いのですが、その前提である「神の御霊に導かれる人は」を無視してしまいがちであることです。つまりバプテスマを受けていても、その人が御霊に導かれ(続け)ていなければ、神の子と言えるかどうかわかりませんよ」という風にも理解できるのです。

 多くのキリスト教会では三位一体の神と子なるキリストは強調しますが、聖霊なる神についてはそうではありません。勿論否定はしませんが、聖霊派やカリスマの教会ほどではありません。しかしこの聖書箇所から見れば、御霊つまり聖霊なる神との親しい交わりを抜きにして、神の子というクリスチャンの特権は怪しいものなのです。

 この前節の13節に「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬことになります。しかし、もし御霊によってからだの行いを殺すなら、あなたがたは生きます」とありますが、御霊に生きる人には明確なしるしがあります。それは御霊によって、あるいは依り頼んで肉の行いを殺していることです。そのような人は神の子どもなのです。

 からだの行いって何でしょうか? 妬み、怒り、人を恐れ人を憎んでいる、要するに世の人と何ら変わらぬ人であって、いつも自分を守ることに汲汲としています。そのような自分に疑問を感じませんし、たとえ変えようと思って努力し、牧師に祈ってもらったとしても無理です。普通の人なら自殺するか世捨て人になるしかない罪の深さは、到底受け入れることは困難です。しかし神のあわれみと愛が聖霊様を通して注がれれば別です。自分の罪深さを知れば自分自身に対する希望を捨て、十字架が自分の罪のためであったはっきりわかります。これは聖霊の力であり、選ばれた人であるしるしです。他の人にない、ちょうど主がたどられたように、受難の道を通らされた道の結果でもあります。

 神の子は例外なく、聖霊の油注ぎを受けています。そのような人は、自分が価値があると思っていた一切が、まるで<糞土>のように思える変革が起こした経験を持っています。神の子は、それ以後、聖霊の力に導かれ支えられ、己の肉なる思いに戦いを挑み続けることになります。それまでの自分を騙してきた憎き肉なる思い、世の力、それから生じる行ないに勝利を得ようとし、実際に真の解放と天的な喜び、恵みを体験します。このようなクリスチャンはからだはたとえ世に在っても、天にある父の子の一人として父のみこころの道を歩むのです。
 どうかお一人おひとりがそのように神様に祈り、求めて行っていただきたいと思います。

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