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2020年11月15日 (日)

奇蹟~御霊の現れ

コリント 12章5~7節   新改訳2017  

奉仕はいろいろありますが、仕える相手は同じ主です。
働きはいろいろありますが、同じ神がすべての人の中で、すべての働きをなさいます。
皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです

 キリスト教は奇蹟の宗教です。この信仰の上に、精緻で伝統に包まれた神学と多くの神学大学があります。キリスト教最大の奇蹟はイエス・キリストが処女マリアから生まれ、十字架で死なれた三日後に復活されたことでしょう。神が直接された奇蹟です。一方、神が人間を通してされた奇蹟で最大のものは海を開き、何百万人ものイスラエルの民を、乾いた地を通らせてエジプトから脱出させたことでしょう。これはモーセの栄光ではなく、ただ神を信頼し、神に聞き従って杖を差しのべたモーセを通して起こった神の働きでした。
 最大の預言者エリヤもたくさんの奇跡を行いました。シドン人の女の息子を生き返らせ、天からの火によってバアルの預言者450人を聖絶し、数年にわたる干ばつも予告しました。エリヤは預言者でしたから、これらはただ、神の語られるままに語った結果現された神の栄光でした。
 ですからこと人うぃ通してのいかなる奇蹟も神の力そのものであり、神の栄光でした。人はその通り良き管、器に過ぎません。ただし、神と親しく交わり、謙遜と忠実さ、すべての栄光を神に帰す聞き従いが求められるのです。ほんのわずかでもそれを自分のものにするなら、サウル王のように、かえって大きな裁きを自らに招くのです。

 私たちは奇蹟を求めています。しかしそれは完全に神のみこころに従ってのものでなければなりません。肉親が病で倒れたり、または自分が信仰による迫害を受けていようとも、私たちは神の子、神のものなので、一切神が許されたことです。アブラハムの信仰、ヨセフの試練、モーセの聞き従い、これらに共通しているのは試練を通しての信頼と忍耐です。
 私たちは現状から神に癒やしや救いを求めますが、それ以上に、神は最善しか為されない信仰の土台を揺るがせてはなりません。神のみこころを求め、最後まで神への従いを全うしなければなりません。たとえどんなに奇蹟しか望めない、人間的には絶望的な状態であろうとも、奇蹟を起こされようと起こされまいと、最善であることを疑ってはいけません。失望こそ、神を自分の思い通りにしようとした最大の不信仰になるのです。
 多くの奇蹟、癒やしを行ったラインハルト・ボンケは「奇蹟は福音の真実を確証させる」為のものであると言いました。ですから彼は奇蹟を通して神が生きて働かれる真実な存在であることを実証し、信じられないほど多くの人々を救いに導くことができたのです。彼は奇蹟はすべて神のものであり、神の働きであり、イエス様がされたことを証ししました。私たちはこの奇蹟を日本に待ち望むのです。

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