行け、あなたのその力で
✝士師記6章14節 2017新改訳
すると、【主】は彼の方を向いて言われた。「行け、あなたのその力で。あなたはイスラエルをミディアン人の手から救うのだ。わたしがあなたを遣わすのではないか。」
この士師記の聖句は、前年度たびたびギデオンのことが語られていましたので、私がこれになるのでは無いかと予想した所ですが、残念ながらまったく違っていました。また「あなたのその力で」に少し引っかかっていたこともありましたが、しかしよくよく思い直してみますと、これが実にすばらしいみ言葉であることに気づきましたので、このまま教会の年間聖句にしました。
では何がすばらしいかと言いますと、「あなたのその力で」と言うところです。この現状からでなく、少しは努力したり、引き上げられたりしなければ、主のご用に立てないんじゃない?・・・そういう思いがしていたからです。しかし主はギデオンを召すのに、一切そのようなものは無用だとばかり「あなたのその力で」と語られたのです。ギデオンを遣わされた主は、私たちが牧師になったりする際の、神からの召命とまったく同じものです。
ところが人によっては、神からのはっきりした召命を受けずに、人間的な思いで献身します。その結果、人間的な見方しかできず、神のみこころを行うどころか、逆にそのような忠実な人々に対し、混乱と迫害さえ行う者と化してしまうのです。神からのものでないのに、神からと間違って受け取ったらギデオンもこの召命が本当に神から来たのか、確かめずにはいられませんでした。これは当然なことだったと思います。もしそうでなかったら・・・・それは想像するだけでとんでもないことだからです。
神は私たちの弱さをよくご存知であり、もしその召命が真に神からのものであれば、そのしるしを見たいという人間の願いに、神は必ず答えてくださるというのが私の確信です。逆に言えば、重大な決心のような際に、しるしを求めても得られなかったら、それは神からのものではないと言うことです。これは私自身の経験からのことであります。
しるしには二つの目的があります。それは臨在のしるしを求めるものと、神のみこころを問うしるしとです。今回の場合はこの使いが本当に神からのものかどうか、臨在のしるしを求めるものでした。ギデオンは神の使いに対し、子山羊の贈り物を持って供えるので、しるしを見せて欲しいと頼んだのです。ギデオンは子山羊の肉と肉汁、小麦1エパで作った種なしパンを、指示された通りに供えました。すると神の使いが杖をそれに触れただけでそれらはたちまち火が燃え上がり、焼き尽くされてしまいました。これは後のイエス・キリストのひな形でもあります。
ギデオンはこの臨在に、死すら感じ、恐れおののきました。みなさん、これが神をリアルに体験した瞬間なのです。神の使いは同時に消えてしまいますが、臨在の神を体験したギデオンは、同時に神の言葉が聞こえる存在になったのです。頭の上で神を信じている信仰と、本当に神の実在を体験した信仰とは、その強さはまったく別物です。これは私の経験的にもコペルニクス的な価値観の転換が起こると言えます。
ですから神は次にギデオンに対し、その信仰をもっての宗教改革を要求しました。何と父の持っている「バアルの祭壇とアシェラ像を切り倒せ」と命じられたのです。父の、となっていますが、それは町の人々も信仰しているものでしたので、これを勝手に破壊することは命掛けでした。献身の証しでもありました。これを恐れながらも忠実に従ったギデオンでしたが、それも臨在のしるしを確かに見たからに違いありません。こうして父ヨアシュが人々の訴えに取り合わなかっただけでなく、属するアビエゼル族全体にも主への信仰に立ち返る機会となったことは想像に難くありません。
私たちもギデオンのように、それぞれの仕方で神に召されています。神は私たちの弱さを実際をご存知なのですから、足りないものを神ご自身がすべて備えてくださるのです。神から「行け、あなたのその力で」と聞いたなら、ぜひしるしなど確認されてから聞き従っていただきたいと思います。それが神からのものであれば、その願いに答えるなど天地万物の神にとっては朝飯前なのですから。
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