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2020年12月 6日 (日)

教会の使命~滅びゆく人々を獲ち取る教会

✝ローマ 10章 14節   2017新改訳

しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。

 私はキリスト教から隔絶した世界で育ち、一度も伝道されることもなく、ただ一冊の本を読んで<これが神だ>とわかった者ですから、福音宣教とか伝道の必要性にうとい者でした。「神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができる(マタイ3:9)」の実例でした。
 しかしバプテスマを受けて帰郷し、そのような社会に住んで感じたことは、身近に接する親類縁者、近所の葬儀は、全て救われていない人の葬儀になります。近郷近在のどんな墓地に行っても、十字架なんてただの一つもありません。みな滅びの国に行っているのです。いえ、この国全体を見ても、大なり小なりで、ほとんど同様です。これでは天国に日本人はほとんど居ません。悔しくもあり、本当に残念で、日本人として、この国を見捨てないでくださいと痛切に祈ってきました。

 この度今世紀最大の伝道者であるラインハルト・ボンケの伝記を読み、次の言葉からチャレンジを受けました。一週間以上にわたって寝ても覚めても脳裏から冷めないのです。
「積極的な伝道なしに、リバイバルが起こったことはありません」、数行後の我流訳で「永遠の滅びに行く人々に手をこまねいて傍観する教会は、すでに滅んでいます」の言葉でした。これは1986年、ボンケが主催したアフリカ中の牧師、伝道者を集めた「炎の大会」の中で語られた言葉です。

 ボンケの集会では実に多くの癒やしと奇跡が起こりました。続いて「誰があなたを癒やしましたか?主イエス・キリストがあなたを癒やされたのです」と徹底的に福音宣教第一にしていました。癒やしも奇蹟もそのためというのが徹底しているのです。先週も「信じること」と「癒やされること」の「どちらが易しいか」と題して語らせていただきましたが、どんな素晴らしい奇跡やワザが起こったとしても、信仰に結びつかないなら、帰ってこなかった9人のように空しいのです。

これから困難な時代に入って行き、その後刈り取りを迎えると思いますが、それゆえに収穫に向けての積極的な伝道が重要になります。ですからこれは確かに神から来たものであり、私たちはチャレンジを受けていると思います。そしてこれに答えて行く決心を致します。
ただ、闇雲に、肉的な力を持っての積極性ではなく、先ずは同胞への愛を深め、お一人お一人が神の愛に満たされ、愛に答えての献身、愛による伝道が前提でもあり、それは「祈り」によって成就して行くのです。神は私たちがこのために祈ることを求めておられるのであり、その中で自分自身を神に捧げ、神の御計画に積極的に応答して行くことに努めて参りたいと思います。

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