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2021年1月10日 (日)

恵みも満ちあふれる

ローマ 5章20-21節   新改訳2017

律法が入って来たのは、違反が増し加わるためでした。しかし、罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました。
それは、罪が死によって支配したように、恵みもまた義によって支配して、私たちの主イエス・キリストにより永遠のいのちに導くためなのです。

 神は「愛」そのものなのに、なぜ神は審きをされるのだろうか?という疑問を抱く方がおられます。かつて私もそのように思ったものでした。しかしその疑問は、神様のご性質がまだよくわかっていない段階のものと思われます。なぜなら神様の愛は人間が考えるような愛とは、まったくレベルが違うのです。全知全能の存在は、人間が及びもつかない聖であり、義なるお方、光と真理に満ちた存在なのです。神は基本的には従うだけの存在である天使とは異なって、自由な意思と意見を持ち、ご自身と分け隔てなく交われる多くの聖徒たちを構成員として、真の天国をお造りになろうとしておられるのです。

 小学生だった頃、浄土真宗だった私の家に、折々その住職さんが読経と法話に来てくださったことを思い出します。特に「二河白道」の話は興味深かったのですが、幼いなりに一つの疑問がありました。貪りや執着心の水の川、怒りや憎しみの川の間の白い道を何とか行けても、その極楽浄土にたどり着いた所は本当に良いところなのだろうか、と。世の人とどこが違っているのだろうか、と。結局はこの世と変わらない世界だとしたら、意味ないと思ったのです。どうにも風変わりな子どもだったようです。
 13歳の時に小説で神を知り、15歳で探し当てた伝道所でキリスト教に接したとき、これが真の神であるとわかりました。疑問を解決する十字架が有ったからです。神は愛なる神ですが、同時に聖なるお方、義なるお方です。天国が本当に天国であるのは、赦されて罪から解放された人々、聖とされた人々の国であるからです。
 十字架無しに人々が義とされることも、聖とされることもありません。神の愛そのものの十字架こそ、世界でオンリーワンの真の宗教です。罪深い私たちを完全に贖ってくださった十字架の主イエス・キリストを、心から自分の罪を償ってくださった方だと信じるなら、その方は救われているのです。救われた人は、決してそれまでの人ではありません。その人に聖霊が内住されたからです。

 しかしクリスチャンになっても、それまでの(肉的な)自分との変化を感じない方が多いとしたら、深刻に自分自身を吟味していただきたいと思います。それは聖霊の内住があっても、聖霊様の方が僕とされている不遜な状態であるか、さもなくば偽りの信仰告白だったからです。神がご自分の血肉の命を捧げてくださったのですから、私たちもまず自分の命を捧げ、その僕となって聞き従う必要があります。その上でいのちの道が開かれます。その時人は、自分自身が最も自分を窮屈にし苦しめてきた敵であることに気付くでしょう。その時、審きはもはや意味を成さないのです。

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