神の右の座に
✝マルコ 16章19節 2017新改訳
主イエスは彼らに語った後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。
バプテスマのヨハネが預言した主イエスについて、地上で果たされなかったことが一つだけあります。それは何だと思われますか? 答えは「聖霊と火によるバプテスマ」です。
主は十字架で全人類の贖いをご自分の血肉の命を持っ果たされ、復活の後、天の神の右の座につかれました。右の座・・・まさにそれこそが預言されていた「聖霊と火によるバプテスマ」を授けるためだったのです。罪を赦す十字架によって、信じる者に聖い聖霊様が内住されることが可能になったのです。これが生前のイエス様に、聖霊と火によるバプテスマが無かった訳です。イエス様の地上での生涯も、実にこのためでした。
この神のstrategy(戦略・策略・計画)について、聖霊を受けた私たちも幾分かは知ることができます。元々人もサタンも同じ被造物でした。ですから人はサタンが考えるように考え行い、サタンもまた人の様に考え、行うのです。しかし、サタンの方が経験上、数段上手の存在であることは確かです。今日、私たちクリスチャンは世界中に、あるいは身近に、彼らを見分けることができます。教会においてすら、それは実によって見分けられるのです。
サタンについてですが、その知恵は人とそれほどの相違は無いと申しましたが、私たち人のアドバンテージ は、一見マイナスとも思える血肉の体があることです。この体があることに関しても、サタンは神の測り難い知恵と力には太刀打ち出来ません。一例を挙げれば十字架です。彼らはよもやこれが自分たちの滅びの決定打になるとは、想像もつかなかったはずです。そして最終局面で、イエス様が十字架の上で苦しんでおられるのを見て、勝利を確信した彼らは「十字架から降りて来い、そうしたら信じよう」などと愚かなことを言ったのです。しかし全人類の救いという大逆転をもたらすことになることをサタンは知らなかったのです。二千年経っていようと、未だにサタン属する霊にとって、「十字架の言葉は、彼らにとっては愚かな言葉」にしか思えないのですが‥‥‥
サタンはイブへの誘惑から始まり、数千年も人間に対するノウハウを蓄積していますので、侮ることはできません。しかししかし神の知恵と力は、イザヤ55章9節にあるように、それこそ天と地という格段の差があるのです。私たちは自分の力に依ることなく、神に自分を捧げ、神の計画に聞き従い、神の計画と方法を実践して行くべきです。そうすればサタンに対し、私たちは圧倒的な勝利を得ます。しかしてそれは私たちの勝利ではなく、神の勝利です。一寸たりとも神の栄光を奪わないように、愛と謙遜を持って神を褒め称えましょう。ハレルヤ!
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