世に打ち勝つ信仰
✝Ⅰヨハネ 5章4節 新改訳2017
神から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
今年の年間主題であるこの「世に打ち勝つ信仰」は、単純に「ああ、私たちの(カリスマ)信仰が世に対して勝利を取るのだ」と喜んでいいものではない。この御言葉には教会員が襟を正し、自らに問いかけねばならないという根本問題がある。
それはこの章の1節にある「イエス・キリストがキリストであると信じるものはみな、神から生まれた」と「生んでくださった方を愛する者はみな、その方から生まれた者を愛します」にすべて言い表されている。前者は信仰は神より来ていることを現し、恩寵を表す。これは他の多くの聖書箇所(マタイ11:27、使徒13:48など)から裏付けられることである。信仰は人の力で得たものでは無く、実に神が私たちにあわれみをもって、ご自分を現されたことにある。だから誰も自分の信仰を誇ることはできないのだ。
後者はその神から生まれた者は、世に勝つ愛、特に世に勝る兄弟愛を共有すると述べている。主イエスや使徒たちが特に心配したのは、教会内の分裂、分派である。これは実に教会草創期から常に問題でもあった。聖霊のバプテスマを受けていない肉のクリスチャンたちと、聖霊のバプテスマを受けたクリスチャンたちの、信仰違いである。これによって教会内のあらゆる問題引き起こされることは、ごく初期の内に周知されていたし、イエス・キリストは初めからその警告を「互いに愛し合いなさい」と言う最高度の戒めを己を信じる者すべてに、与えていたのである。
実際、「木はその実によって知られる=A tree is known by its fruit」という諺があるように、先ず教会の交わりそのものが聖化され、神の臨在と愛で満たされていなければならない。例えばどんなに偉大な説教者が立派で高尚な教えを垂れても、その説教者の家庭が離婚騒動や兄弟間に争いが絶えないのであれば、誰もその言説を真にを受けようとはしないであろう。それゆえ、教会の兄弟姉妹が肉親の兄弟姉妹以上に、神の愛によって互いに愛し合い(ヨハネ13:34、ロマ12:10、1ペテロ1:22、1ヨハネ4:7)、その実を実らせていること、これが聖書の主要な教えであって、4節で言っている<世に打ち勝つ>とはまさにこのことを指していると私は思う。
「世に打ち勝つ」とは弟子たちにもみられた「誰が一番偉いか」や、互いの間に世の人と同じ妬みや、自分の座を奪われないための相手を排除したり無視すること、また教会への陰口、党派心など、これら一切をなくすことである。それはまさに世の悪霊たちによるに御体への挑戦に打ち勝つことである。この戦いは聖なる戦いであって、世に福音を語り、伝道する以前の内部の問題である。私たちが主の愛によりすがり、教会に、まさに持ち込まれようとしているそのような人間的な感情や、それらを用いてくる悪霊に対し戦うならば、必ず打ち勝ち、勝利することの約束の言葉がこの御言葉なのだ。
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