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2021年3月 7日 (日)

私を信じる者

ヨハネ 14章12節    2017新改訳

まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです

 先週のスネルゴイキャンプがオンラインで語られた要旨を私なりの理解でお伝えします。
 先ず三日間、秋元牧師は出エジプト34:10「わたしがあなたとともに行うことは恐るべきことである」から語られました。」。しかし続けて「私たちは未だそのようなわざを見ていない。再臨のリバイバルが始まっているので、これから見る」と語られました。
 出エジプトとともに引用されたヨハネ14:12の「わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きいなわざを行います」、及びエペソ1:19の「神の大能の働きによって、私たち信じる者に働く神の優れた力が、どれほど偉大なものであるかを知ることができるように」も取り上げられ、この両箇所に共通委する<信じる者>が今回のpointであると私は感じました。
 なぜなら、「自分が何にもできない人間であること」を神は幾度も(秋元牧師に)教えてくださった。弱さを知って、ただ主のみ言葉だけに頼り、信じ、従い、信頼したので、神は自分に奇跡を現してくださった。それゆえ今弱くされている自分を通し、これから<恐るべきこと>が起こって行くという趣旨ではなかったと推察されたのです。

 これは私自身も度々語っております、「人は自分を捨てることはできないが、神から与えられた試練によって自分に絶望し、その結果神に自分を捧げることができるようなる」と、かなり似たような趣旨だと思います。付け加えて秋元牧師は、この御言葉に従う際に、疑いや恐れ、不安が即やって来ることが多いのだが、それは不信仰から来ているので、対処するようにとも付け加えられた。恐らく、「恐るべきことなんて起こらない」という不信仰を縛って追い出し、信仰的な土台に立つように、その対応のことを言われたのではないだろうか。

 <不安や恐れに対処する>ことは、ヨシュアとカレブの引用においても明らかだ。偵察してきた事実…「乳と蜜の流れる地」「ネフィリムの末裔巨人アナク人」では皆相違は無かったが、その対応は他の十人とまったく異なるものだった。「神と共にあるので恐れることなく占領しよう」と。しかし他の十人や多くの長老たちにとって、その常識的な判断、「それはむざむざ殺されに行く」によって、危うく二人は殺されそうになったのである。結果は逆転し、二人以外のすべてのイスラエル人は生きて約束の地に入ることはかなわなかった。このことは信仰によって立つ者だけが約束の地に入る例であって、私たちもそのように、見たことや常識にとらわれるのでなく、どんな非常識なことであろうと、不安や恐れが入って来ようと、神の約束を信じ、それに立ち続けなければならないことを示している。それは神の恐るべきわざを見る人生の歩みであり、神による永遠のいのちの輝きを放つ地上での証人としての人生である。

 

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