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2021年4月11日 (日)

聖霊のバプテスマ

 ✝ 使徒 1章8節     2017新約聖書

しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。

 聖霊のバプテスマほど、キリスト教誕生当初から多くの誤解を受けてきたものはないかも知れません。この定義としては、聖霊の満たしの最初の現象を聖霊のバプテスマと申しますが、満たしであって、一度満たされたら永久不滅のものではありません。満たされ続ける必要があるのです。
 その例ですが、アブラハムは神から「預言者」とされていますので、もちろん聖霊の満たしは受けていたことでしょう。しかしその彼も妻を妹と称してゲゼル王に召し出されても、抵抗をした跡が見られません。また、モーセの姉や兄のミリアムやアロンも預言者でしたが、あるとき、自分達も弟のように用いられても良いのではないかと文句を言った時、手が雪のように真っ白になりました。この事からも、たとえ預言者ではあっても、常に神の霊を受け、神の言葉を取り次いでいたとは言えないことは明らかです。聖霊のバプテスマを受けたとしても、私たちは絶えず聖霊を求め、満たされ続けていく必要があるのです。Photo_20210419124401

聖霊のバプテスマの現われとして、癒やしや預言などの聖霊の賜物も、さらに多くの誤解を招いて来ました。預言はギリシャ語で「プロフェーティヤ」と言い、神の言葉を全面的に預かって話すという神からの賜物ですが、これらは神の使命を果たすための一時的な付与に過ぎません。間違っても自分は神からの特別な霊能者だと誤解してはいけません。ただひたすら謙遜に、取るに足らない者として神に栄光を帰し、神を褒め称えるだけです。すべての賜物は神から来ていますので、御心ならば誰にでもそれは与えられるものです。およそ聖霊の満たしを受ける人とは、神の愛を分かち合うにふさわしい、愛に満ちた人です。同時にまことに弱く小さな人々に仕える謙遜な人でもあります。

 また明らかに終末の時代に向けて歩を進めている時代となっていますが、これからますますその加速度は強まる事でしょう。確かにヨエルの預言の後半部分が顕著になって来ることと思われます。やがて来る主との再会を見据えて、血肉の命のある今、さらに熱心に祈り、霊に燃えて聖霊の注ぎを求めて参りましょう。私たちの希望は、「よくやった、忠実な僕よ」と主のお褒めの言葉に預かる事です。

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