主は最善-感謝-
✝Ⅰテサロニケ 5章18節 2017新改訳
すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
感謝についてのみ言葉については、いずれもパウロの言葉でエペソ5:18-20、テサロニケ5:16-18、コロサイ3:15-17の三カ所が重要だと思われます。これらの内容は、表現は多少異なっていても、実質ほとんど同じ内容「感謝の心」を語っています。
先ず、霊的な面で聖霊やみ言葉の霊に満たされ、詩と賛美と霊の歌によって心からの賛美をし、歌うこと。次にその実践的な面で行いについて、「いつでも」「どこででも」「すべてのことについて」感謝し続けることだとしています。私たちが感謝の心を得るならば、その現れは上述の二面に現れていくとしています。
それでは泉のように湧く感謝の心の源はどこにあるのでしょうか。それは天より下って注がれるものです。その土台は自分の真の姿~弱く罪深い本当の自分を知り、ただ滅ぶしかない自分が分かった時ではないでしょうか。こんなみじめで滅ぶしかない自分の為に、尊い方が十字架に架かってくださった・・・神の愛が分かるのです。感謝はキリストの十字架の愛が源なのです。
人はこの神の愛に応えて行こうとし、この神の愛に自分を導いてくれた数々の自分のマイナスが、導いてくれたからこそ逆に宝物なのだと気付くのです。すると見方が一変します。自分の貧しい生い立ち、能力の無さ、劣った容姿、忌み嫌い、不幸な家庭の中で歩み、避け憎んで来たこれら数々のことが、真逆になって自分の宝物に思えて来る大転換を経験します。つまり感謝する心を持つとは、傷もしみも陰もいっさいなく、すべてが喜びに変えられ、光の子にされることなのです。
例えば私が裕福な家に生まれ、能力に恵まれてたとしたら、必ず貧しい人や劣った能力の人を蔑すむか、または存在しないかのように無視する者になっていたはずです。もし私が容姿端麗であったら、きっと鼻もちならない高慢な人間になっていたことでしょう。仕事であのままエリートコースを歩んでいたら、砕かれて聖霊の恵みにあずかることもなく、献身したとしてもカリスマ派になってはいなかったはずです。
人の痛みを分かち合うためには、知識だけでは困難です。自分自身が体験しなければ不可能です。心の病、障害を持つ人に対し、自分が身近に接し、共に痛んでいなければ、どうしてそのような人に寄り添っての牧会ができるでしょうか。このように今では経験したすべてのマイナスはプラスに、いいえ、私の宝物になりました。
私はお勧めします。かつてマイナスに思えていたこれらが一つでも欠けていたら、私は今の私になっていません。ですからすべてを感謝します。神に感謝しましょう。私たちを選び、天へ救い出してくださった神の、計り知れない叡知と愛に。
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