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2021年5月 9日 (日)

福音

コリントⅡ5章18-19節  2017新改訳  

これらのことはすべて、神から出ています。神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。
すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。

 福音とは「良い知らせ(good news)」と言う意味です。どういう良い知らせかと言えば、私たちのどんなにがんばっても無理だった天国入国が、ただイエス・キリストを信じるだけでOKになったという知らせです。もう少し詳しく言えば、私たちの罪の身代わりに、神の子キリストを十字架に架けられたので、これを信じさえすれば罪が帳消しにされる、つまりすべて赦されるので、罪を犯さなかった聖なる者となって天国へ入れるという驚くべきものです。イエス・キリストの十字架はまさに人類の歴史を二分する驚天動地出来事であって、実際西暦ではBCとADとに、つまりキリストの誕生以前と以後で、歴史を二分しています。

 今一度強調したいと思います。霊肉共に滅ぶしかなかった私たちでしたが、福音によってどれほどの恵みを、天地がひっくり返るほどでしたが、受けたのかを。私たちは今2021年を生きていますが、キリスト以前の二千年前、つまり四千年前に、アブラハムによって神に聞き従う信仰が始まりました。そして三千年前にモーセによって、「十戒」を頂点とする律法がイスラエルの民に与えられ、この律法を守ることによってイスラエルの民は神の国に入れるはずでした。しかしイスラエルの民はキリストまでの千年にわたって、結局、天国に到達することができませんでした。つまり、イスラエルの民は、人の努力で天国へ行くことはできないお手本となったのでした。
 ではこのアブラハムの子孫、イスラエルの二千年間は無駄な時間だったのでしょうか。いえ、この民の時代があったからこそ福音の必然性が証明されたのです。人は福音無しには天国には行けない、つまり救われないのです。

 同時に福音はいわゆる「御利益信仰」を峻別し、拒否します。神の命をもって買い取られた者、すなわち十字架を信じた者の命は、すでに神のものです。その見返りははるかに莫大なもので、永遠のいのちが与えられているのです。この永遠のいのちをいつまでも実感できない人は、その状態のままでは、自分自身が人生の主人であるという御利益信仰者、または肉のクリスチャンであることを明らかにしています。神によって永遠のいのちを得た者は、すでにこの世の価値観から離れ、心と魂が一新された、新しく生まれた者となっているのです。まさに福音は生きて働く神の力であり、ハレルヤ!これを聞いて信じる者を一変させる力あるものです。

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