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2021年6月13日 (日)

終末の教会

✝ テサロニケⅡ 2章3節  2017新改訳

どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。

終末の教会の特徴の一つとして、不法の者、滅びの子が教会内に現れて来ることです。しかしそれはキリストの再臨前、大患難時代のことだと書かれています。惑わしの霊がしるしと不思議伴ってクリスチャンを誘惑するのです。その時不法の者は<しるしや不思議を用いる>ますので、虹とか癒やしを見てすぐに「神様の確認だ」とするお方は注意が必要です。

 さらに最悪なのは、惑わされた人たちはそのことに気づかず、ますます熱心に迫害することです。安息日の癒やしを律法違反だと断罪し、イエス様を十字架に架けようと執念を燃やしたパリサイ人のようになることです。彼らは真理に覆いがかけられ、目と耳が塞がれて罪を犯し続け、滅びに道連れにされてしまうのです。気がついてみると、取り返しがつかない真逆の世界にいることになります。

 さて注意すべきは7節の「不法の秘密はすでに働いています」という言葉でしょう。これは使徒の時代から現在に至るまで、すでに教会に働いていると言うことになります。その最たるものは何でしょうか。「背教」ということばが使われていますが、ここで言う背教とは具体的には何でしょうか。勿論教えに背くことですが、直接的な意味は偶像崇拝であると私は思っています。十戒の主要な戒めは「神が唯一の存在であること、偶像を造ることや崇拝することを禁じる」ものです。聖書での最も重要な教えは、イエス様も追認された「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして主なるあなたの神を愛する」ことなのです。先ず神であって、それが人であってはならないのです。しかし口先ではともかく、真に聖霊を受けず、神を知らない人は、眼前の権威ある人間に従うことしかできません。それは本物のお札に触ったことが無ければ偽札を見抜け無いのと同様です。

 この不法な者は4節では自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言するとあります。これこそ不法の秘密が働いている事柄であって、実際、聖霊の賜物によって神に用いられている器は、それが自分の力ではなく、神の力であることを骨身に知らされていますから、神のわざを現せば現すほど、ますます神を畏れかしこみ謙遜になるのです。つまり真逆の結果になるのが本当です。私たちはサタンの惑わしを聖書と聖霊によって見分けて行かなければなりません。ただしパリサイ人は覆いがかけられてはいましたが、誰よりも聖書をよく知っていた人々でした。聖書理解ももその決め手になるのはここにおいても、真の信者として聖霊の満たしを受け、主を主として真に従っているかどうかなのです。祈りましょう、肉なる自分が砕かれ、神のあわれみによって子とされ、聖霊によって主と交われる者とされますように。

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