あなたは愛されている
✝Ⅰヨハネ 4章19~20節 2017新改訳
私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。
昨日の土曜日、仕事で子どもたちを乗せていると、ラジオをつけて欲しいとせがまれ、スイッチを入れた途端に、レーナ・マリアの話が聞こえてきました。両腕や左足が形成不全で生まれて来ました彼女は、スウェーデンのパラオリンの水泳で、数々の入賞を果たしました。選手を引退してからは今に至るまでゴスペルシンガーとして世界を回り、度々来日し、長野冬季でも開会式で歌いました。わたしが彼女を知ったのは久米宏さんのTV、ニュースステーションでした。今でもその時語った彼女の証しは、放送の自粛規定すれすれだったと思いますが、力強く脳裏に残っています。異口同音に彼女に対し「その明るさはどこから来るのか」の問いに、彼女はいつも同じ答えをしています。「私は、私のこの特別な体は神様の計画ために造られたのだから、そのために使っていただきたいと思っていますし、そのようにお祈りしていると、神様が親友でいてくださることがわかって、いつも喜んでいることができる」と。
障害は目に見えるものと見えないものがありますが、霊、魂にそんな垣根みたいなものはありません。レーナさんの障害は見える形を通して、私たちの障害者感こそ、実は障害であることを明らかにし、造られた者が造ってくださった方に対し、それは各自異なってはいますが、それぞれに与えられ計画(み心)を行うならば、どれほど命が素晴らしく輝くかを実証し、学ばせてくれるのです。
私たちは一人ひとりがレーナ・マリアでもあります。神の目には高価で尊い(イザヤ43:4)のですし、神に愛されて(1ヨハネ4:19)この世に生まれて来たのです。全能の神に当たり外れはあり得ません。み心がただ、お一人おひとりに異なっているだけなのです。もし世の人から見て羨ましいほどの健全な体と恵まれた豊かな家に生まれたとしても、神を信じなかったら何の意味もないのです。もし豊かさが高ぶりを招き、真実の人間の姿が曇って見えたとしたら、それは本当に不幸としか言いようがありません。
神が人間のために天地万物を創造され、天使たちすら創られたのです。万物の創造の目的は多くの人を神ご自身の子として、友として得るためでした。神は人を愛してくださったのです。それは天使のように、受け身形で聞き従うだけでなく、レーナのように「どうか主よ、この私をあなたの者とし、あなたのみ心のためにお持ちいください」という自ら進んでの自主的、積極的な魂を得るためでした。それ故、神の子は神の御性質と等しく、兄弟姉妹をも心から愛するはずです。愛せない人は、世のものです。これは神から来ているのです。
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