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2021年8月 1日 (日)

その血によって

黙示録 1章5節   2017新改訳

また、確かな証人、死者の中から最初に生まれた方、地の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち

 愛することは、愛されることよりも大きな喜びがある。しかし愛されることに欠乏を感じて育った人にとって、生涯「愛される」ことを求め続けます。しかしそれは、来受けるべき相手であった親から受けるべき時期を逸しており、その親だって愛を受けずに親になっている事が多く、実際には受けることがほとんど不可能です。よく結婚する相手に求めようとするのですが、それもイコールパートナ-の点から無理なのです。離婚って、だいたいそんな理由から生じています。

 話を戻しまして、レビ記17章14節に「すべての肉のいのちは、その血そのもの』とあり、これを元に輸血を拒否する自称キリスト教の人々がいます。しかしこれは罪の贖いに動物の血をもってするメシア以前の不十分なものでした。ヘブル書10章10節には、「イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされ」とあり、もはや血の犠牲は不要です。
ですから旧約の「血」の理解に基づく輸血拒否の見解は、キリストの神性を否定する十字架の理解から来る誤りであることが分かります。
 さて、キリストが十字架の上で流された血潮は、私たちの罪を赦し、解放するものです。神の愛はこの十字架の贖いの血に最も端的に表れています。それゆえ自分の罪を真に知らされた者は、十字架を愛しますし、その血を我が事、私のためであることがわかります。ですからこの罪の赦しを得させるキリストの血は、どんなに慕わしく麗しいものでしょうか。永遠のいのちそのものであり、神がそのいのちを持ってあがなってくださった恵みです。ですからそれを受けた私たちも、自分の命をもって神を愛し、捧げるのは当然ではないでしょうか。私たちは神が十字架の血潮を持って買い取られたのですから、もはや神のものです。別に聖書にあるように命令されなくても、私たち神を愛する者は、兄弟姉妹を自然に、心から愛します。その愛で教会は満ちるのです。

 もし教会の中で愛のない行動を、たとえば兄弟姉妹を妬んだり、陰口をたたいたり、中傷したりするならば、冒頭で述べましたように、たとえバプテスマを受けていようと、その人は肉の人であって、冒頭に述べたように人の愛を求め続けてさまよっている人であって、奉仕し、愛する教会にあって、自分の肉のためにただ奪って得ようとし、人を躓かせようとサタンに用いられているのです。
 私は信じますが、そのような人も自分の真の罪が分かり、悔い改めれば、親から得られなかった愛を、キリストの中に無尽蔵に受けて癒やされ、変えられるのです。絶望した自分からキリストの愛に触れるならば、個人的な奇跡が起こるのです。神に触れられること、そして聖霊のバプテスマを受け、一新されるのです。神は愛する者を必ず試練や困難を通して訓練されます。ハレルヤ、その人は根本から変えられます。ですから試練や困難が来たら喜んでください。

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