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2021年8月22日 (日)

主イエスよ来て下さい

黙示録 22章20節   2017新改訳   

これらのことを証しする方が言われる。「しかり、わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。

「主イエスよ来て下さい」
 本日の聖書日課が黙示録22章になります。この章では3度も「見よ、私はすぐに来る」があります。一つの章の中でこれだけ繰り返される、これには大きな意味があると思われます。英語では【Surely I am coming quickly】ですが、<行く>というgoではなく、戻って<来る>という意味的なcomeが用いられているので、この地上こそが神の最終的な約束の地です。実際、天のエルサレムが太陽も月も、山も海も無くなったこの地上に降りてくるのです。

 さて私たちの教会は、11年前の2010年8月16日の日曜日にスタートしたわけですから、ちょうど12年目の歩みに入ったわけです。今年が閏年もあって曜日がピタッと同じに重なった年である事や、聖書日課がカレンダーと黙示録の章が同じ数字になっています。神を信じる者にとって偶然はありませんから、この教会に主の御手がある事を感じます。それだけでなく昨日変なというか、不思議な体験をしました。

 昨日、仕事の都合でコンビニのトイレをお借りしなくてはならなくなり、子どもが用を足している間、レジ横で私は立っておりました。すると店員の一人が運転免許証らしきカードを持って来て「これ、あなたのではありませんか?」と言ってくるではありませんか。見るとそのカードは紛れもなく私のものでした。「えええ、どうして!」と一瞬混乱しました。しかし今月の10(火)、免許証をコピーする必要があってこのお店でコピーしたことを思い出しました。それでコピー機に忘れて、ずっとそのままだったことに気がつきました。なんと3週間私は免許不携帯で走り回っていたのです。
 免許証はお礼を言って返していただいたのですが、しかし何だか変です。これは普通の事ではありません。お店の中で忘れ物があったら、即日ではないにしても、速やかに警察にとどけますよね。しかし警察に届けず、ずうっと今日来るか、明日来るかと私を待ち続けてくださったのです。たくさんのお客が出入りするお店で、これはちょっとあり得ないと思うのす。20日間待ち続けられ、ついに発見されました。「こんな事ってあるかなあ」が私の最初の印象でした。しかし皆さん、これは私たちクリスチャンが一人ひとり、神に覚えられて、一日千秋の思いで悔い改めを待たれている、そんな神のみ心そのものだと私は思わされたのです。

 今私の免許証忘れのように、「自分はなかなか聖霊の恵みを受けられない・・・」「どうせ神様の勝手、どうしたって自分には無理だ」、そう思っておられる方々、それはみ心をないがしろにすることです。神はあなたをコンビニ店員さん以上に待っておられるのです。悔い改めた時が来るのを、です。聖霊の恵みを求めることは、み心です。皆さんの肉の心、石の心はご自分の力で断ち切り、聖めることは困難です。ただ導かれることを信じ、祈り、待ち続けましょう。それが信仰です。

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