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2021年8月15日 (日)

新たなスタート

使徒 16章9節   2017新改訳

彼らは聖徒たちや預言者たちの血を流しましたが、あなたは彼らに血を飲ませられました。彼らにはそれがふさわしいからです。

 さて先週の礼拝でお証ししたように、私たちの教会には明白に主のみ心があります。「結腸癌の疑い」からの牧会への主の召し、群れ全体への「マケドニアの叫び」に応じた実質唯一人の牧師。この牧師は<日本のリバイバル>に召された牧師ですから、教会もそうなのです。

 その召された教会がカリスマであることに大きな主の計画があります。牧師だけがこの召しを受け、ついてきなさい、ではなく、個々の教会員のレベルにおいても聖霊様から同様の召しを受けほしいのです。牧師が言うからではなく、一致して同じ召しであれば、どれほど強力なスクラムになり、主の召しを確かに行える教会であることでしょうか。

 さてそのためには、私たちの教会員の多くが聖霊のバプテスマを受け、主にみ心を聞く者でなければ話になりません。ヨハネ12章24では、「一粒の麦は、地に落ちて死なずば、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます」とあるように、肉の自分が死ななければ、聖霊様がその人の内で<主>になることができません。なぜならその人の罪深い肉が主であれば聖霊様は内住されていも、しもべとしてなので、しもべが主人に教え語ることも、諭すこともできないからです。

本当に自分の罪がわかり、悔い改めて聖霊のバプテスマを受けることで、賜物として聖霊を受ける内容のことが使徒2章8,38節にあります。ところが自分に死のうとどんなに努力や修行をしたところで、それは実現不可能です。私たちは自身が一番自分を知っているように思っていますが、とんでもない、あなたの造り主である神が一番あなたをご存知なのです。ですから事は神によるのです。

「風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」(ヨハネ3:8)
それゆえ一切を神に委ね、信仰をもって祈り求めましょう。聖霊を求めることはみ心なのですから。神はパンを求める子に石を、魚を求める子に蛇を渡したりはされません。真に求め、祈られるならば、必ず与えられるのです。ただし、その時まで信仰による忍耐が試されます。熱心に待ち望みましょう。

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