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2021年10月10日 (日)

主は生きておられる

Ⅱ列王記 4章30節   2017新改訳

その子の母親は言った。「【主】は生きておられます。あなたのたましいも生きています。私は決してあなたを離しません。」エリシャは立ち上がり、彼女の後について行った。

 この上記の告白はシュネムの女がエリシャに、わが子を生き返らせるよう懇願した際の言葉です。「主は生きておられる」、この言葉は、神、主をリアルに実際に体験しなければ言えない言葉です。神を体験する、これは神の一方的な主権による顕現であって、これを受けた人にとって、それまでの自分の人生観や価値観が、その瞬間、決定的に変容せざるを得ないのです。しかしこのような体験は「聖霊のバプテスマ」は聞き及んでも、現代では余り聞くことがありません。果たしてそれでいいのでしょうか。

 聖書ではどのように描かれているのでしょうか。先ずこのシュネムの女ですが、夫がすでに高齢で、子を持つことをあきらめていたようです。しかしエリシャは「来年の今頃、あなたは男の子を抱くようになる」と預言し、実際それは成就しました。まるでアブラハムの妻、サラの事例のようです。この女性は「主は生きておられる」ことを体験しているのです。この言葉はエリヤやエリシァだけでなく、ギデオン、サウル王、ダビデ、エレミヤなど旧約では多くの人物が口にしました。彼らは皆、神の生きておられることを体験し、主に用いられた人生を歩んだのでした。

 「主は生きておられる」ことを体験するなら、それまで神は自分の思いやイメージ、観念の中にボヤーッと知識の中にあったのですが、その瞬間に現実の神とは、力ある唯一の権威と圧倒的な力、創造者にして真に贖い主であることが分かるのです。現れ方や伝え方はそれぞれに適応したものとなるでしょうが、最終的には一人ひとりに神の愛のメッセージが注がれるはずです。少なくとも私はそうでした。その愛の渦の中で呆然としながら、ただ強い感動で涙が止まらないのです。
 これを強いて言えば少し異なりますが、今はもう古い話、中国残留孤児が日本に来て、実の親にはじめて対面できたような感じでしょうか。

 「主は生きておられる」体験をした人は、マタイ 13章44節のようです。隠された宝を畑の中に見つけ、喜びのあまり、持っている物すべてを売り払い、その畑を買うようなものです。自分の持っているもの全部を売り払って、神に捧げたくなってしかたがありません。それほどのこの体験は余りにも恵みであり、今自分が生きている意味とその目的をも知る事になるのです。信仰の確信が持てない、クリスチャンとして本当に自分は実をつけて、良い地なのだろうか。そう悩んでいる方は真剣に、深い悔い改めの中から、神のあわれみによってこの恵みを受けていただきたいと思います。

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