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2021年10月17日 (日)

贖い出される

ガラテヤ 3章13節  新改訳2017

キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。「木にかけられた者はみな、のろわれている」と書いてあるからです

「あがない出される」とはすなわち、犯した罪を代償物を出してつぐなわれ、それで助け出されることです。そこで「あがない出された」者は、当然自分の罪を十分知っており、その代償物をも知っています。もちろんその代償物とはイエス・キリストです。

 しかし自分の罪がわからない人は、あがなわれていることが分からないので、縄目が解かれ、獄を出て行くことができるのに、未だその中に留まっているのです。つまりあがなわれておられないのです。このような方はその血肉の体と共に滅びます。
クリスチャンと称される方であっても、ガラテヤ5章16~21にあるような未だ肉のわざの働きが内心にあれば、未だ獄内ということになるので、裁きの時には外の暗闇に放り出されるおそれがあります。
 ともあれ、真に自分の罪を知っており、十字架の恵みによってあがない出された者は、常に救われた感謝と喜びの中にあります。つまり十字架は祝福の土台なのです。罪のことを申しますと、まるで暗い呪いの中に落とし込むように、これを忌避される方がおられますが、そのような方はご自分の罪がわかっておられないということになります。

 ここで一つ分かりにくい御言葉が、本日の聖書箇所にあります。
ご自分が私たちのために呪われた者となることで、わたしたちを律法の呪いからあがない出して」の≪律法の呪い≫という言葉です。律法の中での最高規範をイエス様は第一に「心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして主を愛すること」、第二に「隣人を自分自身のように愛しなさい」(マタイ22:36-40)と語られましたが、本当にそれが文字通りにできて、実際に行っているかどうか、です。皆さん、自分は行っていると言えるのであれば、その人に≪律法の呪い≫はありません。どうでしょうか? もし私のように自信を持って「行えていない」のであれば、律法に呪われています。しかし誉むべきかな、私たちには十字架の赦しがあります。このできない呪い・・・罪を主があがなってくださったのです。
 ハレルヤ!そのことを「律法の呪いからあがない出して」とパウロは語ってくれているのです。そしてあがなわれた私たちに<御子の御霊>を遣わされ、み心を行う者としてくださり、遂には子としてくださるのです(ガラテヤ4:5-7)。感謝します。

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