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2021年10月24日 (日)

不正な管理人

ルカ 16章8節   新改訳2017

主人は、不正な管理人が賢く行動したのをほめた。この世の子らは、自分と同じ時代の人々の扱いについては、光の子らよりも賢いのである。

 このたとえ話は難解な箇所だと言われています。それは世の常識と天の父なる神のみ心と分けて考えないからです。この世の常識では、信頼されるべき職務の管理人が、不正を行なったというだけでも重罪であるのに、その上、解任の残された短い期日を使ってさらに主人の財産に損害を与えたというのは、更なる裏切りであって、言語道断な行為です。しかしそれを主人が「賢く行動したのをほめた」なんてことはあり得ないからです。
 しかし上記の8節から次の9節を見ていくなら、その意味がかなりわかってきます。「不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうすれば、富がなくなった時、彼らがあなたがたを永遠の住まいに迎えてくれます」の 「富がなくなった時」とは自分が血肉の命を失った時のことであり、その時天国へは不正な富で多額の債務を減額された友が歓迎してくれる・・・という意味だからです。
 つまり<不正な富>とは文字通りに受け取るのではなく、<天の富>であって、それを正しく管理していなかったことが<不正>だったことになります。この管理人の富の使い方は、一言で言えば神のみ心に反していたということなのです。

 私たちは自分の財産やそれを産み出すもの・・・富を世において持っていたとしても、それらは神から委ねられたものであって、真の自分のものではありません。そしてこの委ねられた富をいかに用いたかということが、ある意味、天への道を左右するものとなるのです。
 同じ章で語られた「金持ちとラザロ」の話では、金持ちが死んで、彼は黄泉の国の熱い炎で苦しめられていました。彼がここで苦しむ理由として聖書で分かることは一つしかありません。貧しく重い皮膚病人だったラザロは、金持ち宅の門前で寝ていて、その「食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた」とあるだけです。ラザロは犬がもらえる残飯でも欲しかったのですが、そのことは犬からさえも同情されていたことしか知ることができません。ここで読み取れるのは、金持ちの<あわれみの心の無さ>です。門前に居たラザロに金持ちが気づかぬことはあり得ません。それにもかかわらず彼は何も助けようとはしなかったのです。
 金持ちの彼にとって、ラザロは隣人と見なさなかったのでしょう。しかし良きサマリヤ人で語られているように、この金持ちは「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」の律法に明確に違反しているのです。そのように考えるなら、この不正な管理人が窮地に陥ってですが、負債の減額に天の富を用いたことは<ほめられる、賢い>ことだったのです。

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