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2022年1月23日 (日)

新しく造られた者

Ⅱコリント 5章17節   2017新改訳

ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

「神様を信じた人」と言っても、大きく三種類に分けられるかと思います。一つ目はサマリアで魔術を使っていたシモンのようなタイプです。彼はいつもピリポに付き従って信者のようにしていたのですが、それは信じたからでは無く、お金で神の賜物を買おうとしたように、自分の魔術のパワーアップのためでした。
 今日、教会側にも大きな責任がある事態が生じています。明らかに本当には信じていないのにもかかわらず、ローマ10章9−10の「口で」の意味するところを、単に形だけ、口先だけでも告白さえすれば、即時に信者(クリスチャン)だとすることです。これは偽りであり、言わばその気にさせて、なりすましの信者を強いているのです。これが今日の教会の退潮と混乱の原因ともなっています。

 後の二つは聖霊のバプテスマを受けていないクリスチャンと、受けているクリスチャンのことを指します。これらのクリスチャンはキリストの死による罪の赦しを受けていますので、聖霊なる神が内住しています。ただその聖霊がその人を支配しているかどうかの違いがこの両者を分けています。しかし共通して言えるのは、礼拝を決して欠かしませんし、なんとかして捧げ物をしようとすることです。
 さらに下記の聖句ように、「もはや自分のためではなく、キリストのために生きる」という信仰の実が必ずついていることです。その端的な例は、きちんと毎週毎週の礼拝出席ができることです。霊的な命がある人ならば、礼拝を欠かして、正常なこの世に逆らって神を第一にできるはずがありません。新しく造られた人は、キリストのみからだの一員として、霊的な飢えを満たす教会の礼拝を欠かすことができないのです。

キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。 (✝Ⅱコリ5章15節)

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