御霊によって生きる
✝ガラテヤ 5章24~25節 新改訳2017
キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。
私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。
私たちは、「御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。」とパウロは熱心にガラテヤ地方のクリスチャンに奨めています。つまりキリストにつかず、肉のままの自称クリスチャンが程度はわかりませんが、無視できないほど居たということです。この手紙は残されているパウロの手紙で最も初期のものですから、1世紀のほぼ真ん中で書かれています。つまり、パウロの第一回伝道旅行が終わって5年ないし10年しか経ていないのに、こういう事態だったのです。
使徒の働きには当初からクリスチャンには二種類いました。<水のバプテスマ>のクリスチャンと<聖霊のバプテスマ>を受けたクリスチャンです(使徒8:14-17、19:1-7)。聖霊のバプテスマを受けていないと、神と親しく交れませんから、クリスチャンの使命「御霊によって生きる、神の御心を行なう」ことは困難です。そしてパウロは前節までで、<肉のわざ>と<御霊の実>と対比して二種類のクリスチャンの違いを明示しています。
ところで、「神を本当に信じるとは、どういうことですか?」を質問されたことがあります。「実がつき、実ることです」と私は答えました。これを初歩的な事例で例えば、自分自身の心の内に肉のわざへの誘惑が襲ってきた時、これを古い自分自身が今一度虜にしようとの攻撃であることを直感し、「イエス・キリストの御名によって命じる、お前を縛る。今すぐ私から出て行け!」と戦えるかどうか、なのです。肉のわざを行う者は、神の国を相続できない(21節)のですから、これは非常に重大な問題です。これは全クリスチャンに向けてのメッセージであって、決して看過してはいけないものなのです。
あなたは22節以降のような実をつけていますか?あなたの心の中は、本当に主の霊によって生き、歩んで おられますでしょうか。私達の髪の毛の数すら数えておられる神は、私達の心の中の全てを、私達が生まれる前から、一切を見ておられるのです。
私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。」とパウロは熱心にガラテヤ地方のクリスチャンに奨めています。つまりキリストにつかず、肉のままの自称クリスチャンが程度はわかりませんが、無視できないほど居たということです。この手紙は残されているパウロの手紙で最も初期のものですから、1世紀のほぼ真ん中で書かれています。つまり、パウロの第一回伝道旅行が終わって5年ないし10年しか経ていないのに、こういう事態だったのです。
使徒の働きには当初からクリスチャンには二種類いました。<水のバプテスマ>のクリスチャンと<聖霊のバプテスマ>を受けたクリスチャンです(使徒8:14-17、19:1-7)。聖霊のバプテスマを受けていないと、神と親しく交れませんから、クリスチャンの使命「御霊によって生きる、神の御心を行なう」ことは困難です。そしてパウロは前節までで、<肉のわざ>と<御霊の実>と対比して二種類のクリスチャンの違いを明示しています。
ところで、「神を本当に信じるとは、どういうことですか?」を質問されたことがあります。「実がつき、実ることです」と私は答えました。これを初歩的な事例で例えば、自分自身の心の内に肉のわざへの誘惑が襲ってきた時、これを古い自分自身が今一度虜にしようとの攻撃であることを直感し、「イエス・キリストの御名によって命じる、お前を縛る。今すぐ私から出て行け!」と戦えるかどうか、なのです。肉のわざを行う者は、神の国を相続できない(21節)のですから、これは非常に重大な問題です。これは全クリスチャンに向けてのメッセージであって、決して看過してはいけないものなのです。
あなたは22節以降のような実をつけていますか?あなたの心の中は、本当に主の霊によって生き、歩んで おられますでしょうか。私達の髪の毛の数すら数えておられる神は、私達の心の中の全てを、私達が生まれる前から、一切を見ておられるのです。
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