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2022年2月 6日 (日)

負い目のある者

ローマ 1章14節   2017新改訳

私は、ギリシア人にも未開の人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です。

このローマ書1章14節の意味は、一見難解である。どうしてパウロが負い目を負わなければならないのだろうか。

 ここで用いられている「負い目」という言葉は先の第三版では「返さなければならない負債を負って」とある。この方がKJBのdebt(返さなければならない借金)に近い訳語では無いかと思う。つまりパウロにとってローマで福音を語ることは、神への返済義務を負っている借金の一つなのだ。
 そのような視点で見て行くならば、これは一人パウロだけでなく、福音に与って恵みを得たすべての者は、キリストへの返済義務を負っていることになる。神はその命をもって私たちの罪をあがなってくださり、そしてその贖いの十字架を信じて罪赦され、救われたのが私たちである。いわば私たちは神に買い戻された僕なのだ。
 例えば戦いに負け、降伏したならば捕虜となる。昔の捕虜はその場で殺されるか、奴隷になるか、あるいは次の戦いの最前線に出されて、死ぬまで戦わなければならない。事実日本軍は捕虜になるより、自決を求めていた。キリストの捕虜となったあなたが、高潔な精神で教会での奉仕を行っていると、もし自分を見るならば、それは勘違いである。あなたは十字架によって代価を払って買い取られた存在なのだ。言わば神にその命をもって仕えるために、その命を用いなければならない。したがって奉仕をするのは、滅びから生かされて、返済義務を果たしているという、その当然のことをしているだけなのだ。

 神は人間を滅びから救って永遠のいのちを与えようと、我が子キリストを世に贈ってくださった。(ヨハネ3:16)このキリストを信じる者は、肉の自分は死に、神の宮が内にあり、もはや神によって生きている。神によって生きる者は神の御心を行うはずで、それがここで言う「返済義務」であり「負い目」であるのだ。パウロはローマ人に対して、福音を語り義務を果たしたいと願っていることがよく分かる。
 ではパウロだけでなく、同じように死んだ状態からいのちを救われた私たちは、受けた恵みの返済義務をきちんと果たしているのだろうか?それを土の中に埋めたり、そうでなくても、無償で高潔な奉仕をしているかのような誤った認識に陥っていたりしてはいないだろうか。

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