従うと言うこと
✝Ⅰペテロ 2章13節 2017新改訳
人が立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても
ペテロ第一の2章でペテロは、上に立てられた「権威に従う」ことを求めました。たとえ意地悪な主人であろうと、理不尽な不当な苦しみを受けようと、クリスチャンが上に立てられた者に従うこと、それは「それは神に喜ばれること」であり、苦しんで耐えて行くならば「このためにこそ、あなたがたは召され」ているとまで言い切っています。
今日の世の常識では、ペテロのようなことを言うならば、大変な批判を浴びてしまうかも知れません。弱者を救済すべき、あるいはパワハラとかコンプライアンス違反など、いくらでも反対の事例がある時代になって来ました。しかし目に余る犯罪的な不正ならともかく、聖書でペテロは上に立つ権威は神が立てたものであって、敬意を持って従うように言っています。私たちは聖書を現代流に解釈するのではなく、聖書の書かれている内容に時代を超えて従うべきです。
実際、聞いてみますと表だっての反発や文句が言えず、同僚のスタッフ同士で、陰で上司を批判したり、不満を言い合うことは大変多いのです。面従腹背なわけですね。しかしそれは知らず知らずの内に、あなたがたの心を
暗くし、サタンの罠にはまって偽りの偽善家になってしまいます。しかし、もし心から従うなら守られます。
実際、従うことには多くの益があります。戦争の非道や力による現状変更、弱肉強食、あらゆる混乱と破壊は、定められたルールに従わない人間の心、「自分が」「自分が」という欲心から出ています。秩序を壊すことは、確かに神から出ているとは言えないのです。
儒教などの教えと異なって、神は聖書を通して一人ひとりのこころを、信仰によって根本から変え、互いを尊重し、立てられた権威にキリストの故に従うことを通し、その困難に信仰によって耐えるならば、周囲の人たちから不思議に思われ、その私たちの内に、神の力が働いているの見ることでしょう。口先で福音を語るより、身をもって証する、これこそ私たちの徳であり、神の証です。実際そのことによって神の勝利を私たちは見ますし、その例挙はいとまがありません。
私たちは反抗する者ではなく、従うことによって勝利者となりましょう。
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