目を覚ましていること
・・・3月23日水曜礼拝メッセージ要旨です・・・
✝マルコ 13章37節 2017新改訳
わたしがあなたがたに言っていることは、すべての人に言っているのです。目を覚ましていなさい。
本日のメッセージは「目を覚ましていること」です。終末は遠い先のことだと思っていましたが、今回のことでゴグの動きとその野望が明らかになり、非常に現実化してきました。生きている間には来ないのでは無いかと思われる方が多いと思いますが、どうもそうではないようです。
そこで本日は終末の時代はイエス様が特に言っておられたこと、「目を覚ます」とはどういうことかをお伝えしたいと思います。まず第一にそれは、<突然来る>ということが特徴であるということです。なにしろそれがいつかは、イエス様だって知らない(マタイ24:36)とおっしゃっているのです。まして私たちのような人間に過ぎない者がわかるわけはありません。ですからそんな日時のことを言っていたり、恐れている人は皆、御心に背く人たちです。
ではどうしたら良いのでしょうか。普段通りで良いのです。ただし、心配ばかりし、ふわふわ落ち着かないので仕事が手につかない、のではなく、「忠実で賢い管理人(ルカ12:36)」のように、帰って来られた主人にその働きぶりを見ていただくことです。忠実にとは、いつ帰って来られても良いように、主をお迎えできる態勢をとっているということです。
ではそれは今の私たちに当てはめるなら、「忠実に」とは具体的にどういうことでしょうか。社会での仕事も勿論、きちんと果たすということですが、信仰的には次のような意味になるのではないでしょうか。
つまり、疫病(今がそうですが)や戦争(ウクライナ)の話を聞いても、また飢饉(資源の問題や気候変動で必ず来ます)や地震などの自然災害に遭って、私たちのこの社会に生活に未曾有の混乱が起こることでしょう。また偽預言者が私たちを惑わそうとし、人々の愛が冷え、クリスチャンが迫害されるようになりますが、どんな時代が来ようと動揺せず、ただ天に向けて祈り、聖書と聖霊に忠実に従い続けることです。聖書の言葉以外を信じてはいけません。聖書に書いていないことであれば、確かな示し、語りかけがあるまであきらめず祈ってください。示しがないのに自分の願うことを肉的に「受け取った」として罪を犯さないようにしましょう。たとえ辛く従いにくいことでも、確かに示されたことには、従いきりましょう。
そのために一層信仰を求め、信仰に励みましょう。危機にあればこそ、聖霊の主が頼りあることは確かなことです。そのためには皆さんの血肉の命を神に捧げ、全てを神に委ねる者となっておきましょう。終末の最大の備え、それは聖霊の油注ぎを受ける、受け続けることです。
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