信じる段階Ⅱ・・・義を行う
✝Ⅰヨハネ2章29節 2017新改訳
あなたがたは、神が正しい方であると知っているなら、義を行う者もみな神から生まれたことが分かるはずです。
✝Ⅰペテロ2章24節 2017新改訳
キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。
この段階は聖霊の油注ぎを受け、聖霊のバプテスマを受け、新生したクリスチャンの段階です。何が段階Ⅰと違うかといえば、神と交わっていること(✝1ヨハ1:3)それゆえ御心がわかり、御心を行おうとし、その賜物を得ているクリスチャンの段階であるということです。
この段階には、人が意志の力で努力しても到達することは無理です。なぜなら人は皆救い難い罪人であり、自分を捨てることは不可能だからです。どうしても自己正当化し、守ってしまいます。そうすると、本当の自分を救うことが不可能になります。以下はその例です。
悪霊は騙しの専門家です。私たちはカリスマの教会ですから、悪霊に悩まされている人で、多少なりともその存在や問題に気付いた人が居て、その追い出しを本人から依頼されることがあります。引き受ける場合、まず本人が悪霊が自分の中に居ることを認識されており、自分の敵として追い出したいと願っておられることが土台になります。しかしそこまで認識できないで悪霊の追い出しを依頼されるケースです。その場合、心の王座に聖霊なる神をお迎えできないので、悪霊は再び戻って来、前より悪い状態になってしまいます。(参照✝マタ12:43 ✝ルカ11:224)
悪霊は自分の正体を隠し、宿主を騙します。いつまでも真の罪人である自分の姿を分からせず、自己弁護と高慢で終始します。またその逆に、ひどい不安と落ち込みで自分が無価値な存在として整理しなければと思わせます。こうして昂揚と転落の繰り返しに疲れ果て、最終的には宿主を重度の統合失調症や自殺に至らせようとします。
そんな苦しさに教会の門を叩き、十字架の贖いによる赦しと悔い改めに導かれ、救われる方が多いです。但し、真の自分を知って悔い改めていることが前提になります。真でなければまさに死んでいません。心の王座は依然として肉なる自分のため、新生していませんし、実がついていません。)自分に聖霊の実が実っているかどうか、どうか吟味下さい。
さてサタンは今も働いており、巧妙な実に容易ならざる敵です。ですから霊的なことに対しては、神に拠って立つ他ありませんし、十字架のみが勝利をもたらすのです。これら一連のことに対しては、神に選ばれた子であることがポイントになって行きます。
信じる第2段階とは、真に自分の罪を知らされる、十字架で悔い改め、聖霊が注がれ、新生することが土台になります。もしそうでなく、肉が残っていたら、神に聞き従えず、不従順はサウル王のように、むしろ怒りを買い、裁かれてしまいます。
神があらかじめ子にしようと選び定められた人々、その人たちは例外なく、言いようも無い世という困難と試練の中で自分に死に、今ではただ神にのみ希望を抱き、世にある限り御心を行おうとする人々こそ、真のクリスチャンです。殉教する前にすでに世で死んでいます。
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