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2022年5月 8日 (日)

私の御からだはどこ?

エペソ 5章30節   2017新改訳

私たちはキリストのからだの部分だからです。

 きょうのメッセージは、インターネットラジオ「Ein・Karemのトークルーム」で証しした事がきっかけになりました。それは私が神さまの語りかけを実際に体験した時のできごとです。

 悔いて悔いて曜日の感覚をなくしていたその日の朝、今日が日曜日だということが分かった時、「こんな不浄で罪深い者が、教会などに行ってはいけない」と思いました。クリスチャンになって初めて「教会に行けない」と思った朝でした。しかし心はともかく、長年の習慣だったからでしょうか、思いとは裏腹に体が勝手に私を運転席に座らせ、ハンドルを握らせて車を動かしていたのです。後で考えると、これは神の御手が働いていたのだったとしか思えません。なぜならもしあのまま家で私がくすぶっていたら、この後の人生を一変させた体験はなかったことでしょうから。
 人それぞれに特別な出会いがあるでしょうが、特に神様となると、それは限られた方になると思いますし、それは一層特別であり、また念入りにそれは準備されているようです。半時ばかり運転後、目指す教会が見下ろせる高台まで来た時、とつぜん変なことが起こったのです。運転中の車のダッシュボード上にくるくる回るサイコロのような物がいくつも現れ、やがてその回転が順々に収まって行くと、どうやら一つ一つに文字が読めて来るのです。「ワ・タ・シ・は・あ・な・た・を・ア・イ・シ・テ・イ・ル」と。運転中でもあり、はじめこの奇妙な現象に目を取られて、ナ、ナニ?って感じだったのですが、意味が分かってくると、明らかにこれは自分以外の意思であると分かりました。

 やがて私の心に<どーん>と津波のように襲って来るものがあり、体の震えと涙とで圧倒されて行く自分がいました。ですからやっとのことで車を道路の左端に寄せて停めたのです。自暴自棄になって信仰をほぼ失いそうになり、ほとほと自分自身に愛想が尽きたという状態だったのです。その私にこれは何ということばかけだったのでしょうか。以後省きますが、「この世に神が生きて働かれ、愛を持って語りかけてくださるんだ」と驚きを持って体験しました。まさに人生と価値観を一変させる衝撃的な臨在の出会いでした。

 ちょうどペンテコステの日、弟子たちが変えられたように、私も変えられました。夜、少し落ち着いてみると、一つだけはっきりと分かったことがありました。それは「もう、普通の教会(福音派)には行けない」ということです。普通の教会の信仰・・朝にはそこさえも行けないと思っていたのに、夕には「もうそこにも行けない」という確信でした。私はカリスマになってしまったのです。この信仰では、普通の教会では苦しむだろうし、どこへ行けば良いのか、検討もつきませんでした。

私はその夜、御体を求めて祈り、示された方法、ネットの検索で一回だけ押して見たところ、全く未知のTLCCCが現れ、しかも翌日に広島でその聖会があることがわかりました。その聖会に行くと私が来ることが予告預言されていたのです。全く、神の御手は用意周到です。

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