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2022年6月26日 (日)

恐れることはない

ルカ 5章10節   新改訳2017

シモンの仲間の、ゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。」

 バプテスマのヨハネの弟子であった弟アンデレを通して、ペテロはかなりイエス様を知っていました。ですがイエス様がなぜ「恐れることはない」と言われたのでしょう。これは、準弟子化していた彼らに対し、<弟子としての改まった召命>であり、人を獲る者としての未知への不安に対して語られたと考える方が適切ではないでしょうか。
 神の圧倒的な奇跡によって、ペテロたち漁師の誇り、世的な職業的自負心が打ち砕かれました。彼の献身への世的な恐れを打ち砕かれての神の招き、「恐れることはない」だったのです。

 今一度、この召命の経緯を見てみましょう。弟のアンデレに比べ、ペテロは弟子たちの中では年長者、カペナウムの家に妻と姑という家族持ちでした。
 群衆への話が終わって、イエス様がペテロに「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい」と命じられた時、ペテロは「そんな無駄で愚かなことを」と思いつつ従ったはずです。しかし驚天動地の結果を見、自身の確かな経験など吹っ飛ぶ世界を知らされたのです。世の心配事は神の前には、実に取るに足りないことだったのです。その上での「今から後、あなたは人間を捕るようになる」と、具体的に召されたのです。ペテロのためらい、恐れは一瞬にして瓦解したのでした。

 ここでペテロのように、恐れや不安について、少し考えて見たいと思います。恐れとか心配の発生源はどこでしょうか。それらはどんな働きと結果をもたらすのでしょうか。
 私が遅めの献身をし、上京して数ヶ月経った時のことでした。一生涯とは思いませんでしたが、可能な限り残りの時間、ただ神様のためだけに時間を使いたいと強く願っていました。けれども数ヶ月経ち、目減りする所持金に不安を覚え、今あるお金をなんとかして維持したいと考えました。
 その時、銀行が勧める<資産運用>に目が向いたのです。新興国への投資など資産の運用を上手くやれば、月々の生活費ぐらいが懐に入って来る上手い話でした。これなら今ある自分のお金を減らすことは少なくなると思ったのです。そこで祈りもせず飛びつきました。長く奉仕者生活ができるようにする、これは摂理だとすら思ったのです。
 この結果はどうなったと思われますか?みなさん?安心確実と思っていた結果はひどいものでした。かなりの損失を被ったのです。これは不安からきたモノで、不労所得を得ようとしたものでした。不安や心配から行動する、それはサタンの餌食になります。神からのものは<愛、喜び、平安‥自制>(ガラ5:22~23)です。なんと異なることでしょうか。みなさん、不安や恐れに支配されてはなりません。それは神から来てはいないのです・・それは必ず痛い結果を伴うことになるのです。不安や恐れに支配されてはなりません。よく祈りましょう。

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